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o_kataka
2024年12月27日
朝倉家大野郡司・朝倉景鏡の決断と越前朝倉家終焉の地・福井県大野市
戦国大名・朝倉義景終焉の地として知られる大野市。最後に朝倉義景を裏切り織田信長へその首を差し出した朝倉景鏡。そんな朝倉景鏡が治めた大野市には越前朝倉家の話が多く残ります。そんな大野市で感じる越前朝倉家の想いをご紹介!
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2024年10月15日
真田信繁の首がもたらした越前国の衰退?その首は松平忠直を押しつぶす!
真田幸村こと真田信繁といえば大坂の陣で活躍しその人気は絶大!そんな人気の真田信繁と大坂夏の陣で激突したのが越前国北庄藩の松平忠直でした。徳川家康の孫にあたる松平忠直は1万5千を率い徳川方の期待を一身に受け戦いに挑みました。その後の松平忠直はなぜ乱行を繰り返し配流された?
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2024年6月25日
北陸の関ケ原・浅井畷の戦いと難攻不落の小松城
慶長5年9月に起きた関ケ原の合戦。関ケ原の戦いは全国で東と西に分かれて戦いが行われていました。そして、ここ北陸でも東と西に分かれての戦いが行われました。大聖寺の戦いと浅井畷の戦いです。北陸最強の軍事力を持つ東軍・前田利長の大軍勢を越前加賀の西軍が迎え撃つ北陸の関ケ原とも呼ばれます
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2024年1月14日
坂井平野の歴史を刻む称念寺と丸岡町舟寄・長崎地区に残る『恩地』の姓
南北朝時代の雄・新田義貞の墓所があることで有名な丸岡町長崎の称念寺。それを北西に囲むように舟寄地区があり坂井平野の中心に位置することから歴史の表舞台に登場することが多い地域。そんな丸岡町舟寄・長崎地区に伝わる恩地という姓。織田信長と戦い怯える黒坂一族を護った旅籠屋にも注目。
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2023年11月10日
信長・秀吉・家康に仕えた気相の人・金森長近が造り上げた越前大野の城下町
戦国時代を長く生き抜いた金森長近が造り上げた福井県大野市の街並み。越前の小京都と呼ばれる大野市。越前朝倉時代からの流れを受け継ぎながらも新しく亀山に大野城を築き上げました。信長、秀吉、家康に仕え戦国を生き抜いた武将・金森長近と越前大野の関係をまとめました。
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2023年8月12日
佐々木小次郎との関係は?越前国が誇る最強剣士・富田勢源
なぜ、佐々木小次郎は越前国の一乗滝で剣を磨き秘剣・燕返しを編み出したのか?と思っている方も多いと思いますが、実は一乗滝のある福井市浄教寺町は幻の剣士・富田勢源が住んだ地であり現在も道場跡が残るなど越前朝倉家の剣術拠点であったことはあまり知られていません。最強と言われた富田勢源。
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2023年2月12日
細呂木郷の中心地・神宮寺城跡の寺から城への変貌!
令和3年にあわら市指定文化財の指定を受けた神宮寺城跡。その説明には加賀一向一揆に対する最前線の重要拠点とあり、それ以上の説明はない。不思議に思いこの神宮寺城について深堀りしていくと南北朝時代、さらに奈良時代にまでさかのぼり興味深い内容がぞくぞくと出てきたのでここにまとめます。
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2022年9月3日
山城マニア必見!白山平泉寺の南谷坊院跡エリア!
勝山市にある白山平泉寺は巨大な宗教施設でもあり要塞のような大きな基地とも言え現在でも発掘調査は続けられている越前を代表する寺社仏閣のひとつです。白山平泉寺は苔が有名ですが同じく石畳や石垣などもありその巨大な跡は当時の白山平泉寺の影響力の大きさを物語っています。...
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2022年4月14日
採掘所跡が残る!岩谷不動院&荒れた天正年間を鎮めた永源寺の道芸 福井市上野町
丹生山地の北側に位置する福井市上野地区。昭和40年頃まで採掘所がありここで採掘された石は上野石と呼ばれ石碑、地蔵、墓などが作られた。その跡が今も残り独特の雰囲気を醸し出しています! この写真のような採掘場は間歩(まほ)と呼ばれ地元の看板や記録によると10の間歩があり30人の...
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2022年3月3日
新光寺城・増井甚内の一向一揆への思いと山岳信仰 福井市片山地区
小谷山に今も残る山岳信仰・蔵王権現を祀る蔵王神社 曽我兄弟の話が伝わる片山おべろこ谷五輪塔 一向一揆と戦い散っていった新光寺城城主・増井氏 1.小谷山に今も残る山岳信仰•蔵王権現を祀る蔵王神社 伝説の呪術者・役行者が山岳仏教・修験道の祖ともいわれます。飛鳥時代の実在する人物...
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2021年9月22日
朝倉の名を冠する山にある城『朝倉山城』朝倉景連
福井市深坂町にある朝倉山。越前海岸に近く棗庄(なつめのしょう)の一部でその山の頂上には朝倉山城があったといわれている。麓には日吉神社がありその横に山頂への登山道が整備されている。この城の城主は朝倉景連(あさくらかげつら)。その名前からもわかるよう越前朝倉家一門のひとりで奉行...
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2021年7月14日
加賀一向一揆と対峙した金津溝江氏とは? あわら市大溝
戦国時代の越前の北部、加賀との国境は常に争いが絶えず越前を治める朝倉家と加賀一向一揆の戦いはとても多くこの現在のあわら市の辺りは越前朝倉家にとって大切な拠点のひとつだったと考えられます。そんな地域を守っていたのが溝江氏です。...
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2021年1月12日
朝倉義景に反旗を翻す!堀江の乱 堀江景忠 あわら市下番
写真左・堀江景忠が朝倉軍を迎えるための陣を置いたあわら市中番の春日神社 写真中・竹田川北側・あわら市番田の堀江公番田館跡 写真右・激戦の地となったあわら市東善寺地区の春日神社はご神体以外全焼 戦国時代、越前朝倉家が隆盛を誇っていた時、現在のあわら市下番地区を中心に勢力を広げ...
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2020年8月7日
明智光秀が過ごした越前での思いが詰まる明智神社
およそ10年の年月を越前で過ごした明智光秀。経済的には厳しいなか、のちの細川ガラシャが生まれるなど光秀や家族にとっては大切な時代だったと考えます。織田信長の焼き討ちから守り通した福井市東大味。それに感謝し地域の住民に建てられた明智神社。今もあの頃と同じ風景が残っています。
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