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o_kataka
2023年8月31日
八幡神社が越前国に広がった経緯と清和源氏との関係
全国でも一番多いといわれる八幡神社。この越前国(福井県)でも多くの八幡神社が鎮座しています。この八幡神社が浸透していった経緯に関係する清和源氏・源満仲や木曽義仲をフォーカス。さらに八幡神・応神天皇の母・神功皇后が住んだともいわれる敦賀市の筍飯宮は現在の気比神宮と言われます。
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2022年12月10日
継体天皇の伝説は本当か?裏で操る足羽神社の罪
享保2年(17171年)にまとめられた『足羽社記略』。この本は現在も続く数々の継体天皇の話が書かれていますが、それは真実なのかは大きく疑問が残ります。越前国と継体天皇の真実はどこに?その話ホントですか?
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2022年10月3日
福井各地に残る葵の御紋は越前松平家の足跡!
越前を260年治めた越前松平家。その思いや関係からたくさんの葵の御紋が今でも見られます。葵の御紋を深堀することでその地域と松平家の関係も分かってきます!葵の御紋からみた名門・越前松平家ゆかりの寺社仏閣をご紹介!
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2022年7月10日
南朝方の心の支えとなった藤原藤房 福井市大丹生町
建武の新政とは鎌倉幕府の滅亡と南北朝時代という新しい争いの火種を生み鎌倉幕府滅亡後の主導権争いが始まったと言えます。そんな南北朝時代にこの越前では南朝と北朝の激戦が繰り広げられたことは新田義貞が福井の地で亡くなったことからもその熾烈さは十分に伝わります。...
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2022年4月14日
採掘所跡が残る!岩谷不動院&荒れた天正年間を鎮めた永源寺の道芸 福井市上野町
丹生山地の北側に位置する福井市上野地区。昭和40年頃まで採掘所がありここで採掘された石は上野石と呼ばれ石碑、地蔵、墓などが作られた。その跡が今も残り独特の雰囲気を醸し出しています! この写真のような採掘場は間歩(まほ)と呼ばれ地元の看板や記録によると10の間歩があり30人の...
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2022年3月3日
新光寺城・増井甚内の一向一揆への思いと山岳信仰 福井市片山地区
小谷山に今も残る山岳信仰・蔵王権現を祀る蔵王神社 曽我兄弟の話が伝わる片山おべろこ谷五輪塔 一向一揆と戦い散っていった新光寺城城主・増井氏 1.小谷山に今も残る山岳信仰•蔵王権現を祀る蔵王神社 伝説の呪術者・役行者が山岳仏教・修験道の祖ともいわれます。飛鳥時代の実在する人物...
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2021年9月22日
朝倉の名を冠する山にある城『朝倉山城』朝倉景連
福井市深坂町にある朝倉山。越前海岸に近く棗庄(なつめのしょう)の一部でその山の頂上には朝倉山城があったといわれている。麓には日吉神社がありその横に山頂への登山道が整備されている。この城の城主は朝倉景連(あさくらかげつら)。その名前からもわかるよう越前朝倉家一門のひとりで奉行...
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2021年6月7日
越前松平家の誕生!結城秀康はなぜ越前へ来たのか?
関ヶ原の戦いのあと越前68万石を拝領された結城秀康。徳川家康はなぜ結城秀康にこの越前国を与えたのか?関ケ原の戦い後の徳川家康の疑念。もっとも恐れたシナリオが前田家と豊臣家、そして朝廷が手を結ぶこと。それぞれ徳川家康が信頼する武将を置き監視徹底することを考えました。
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2020年8月27日
コロナ影響下での福井市大手・佐佳枝廼社の見事な折鶴5万羽
コロナの影響でまだまだ予断を許さない状況の中、佐佳枝廼社の5万羽の折鶴は本当に見事でコロナ終息を願って折られた思いが伝わってきます。福井市の中心部にあるこの神社ですが夜になれば人の気配もなく静かな雰囲気の中、虹色に光る折鶴が輝いています。...
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2020年8月7日
明智光秀が過ごした越前での思いが詰まる明智神社
およそ10年の年月を越前で過ごした明智光秀。経済的には厳しいなか、のちの細川ガラシャが生まれるなど光秀や家族にとっては大切な時代だったと考えます。織田信長の焼き討ちから守り通した福井市東大味。それに感謝し地域の住民に建てられた明智神社。今もあの頃と同じ風景が残っています。
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