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採掘所跡が残る!岩谷不動院&荒れた天正年間を鎮めた永源寺の道芸 福井市上野町

丹生山地の北側に位置する福井市上野地区。昭和40年頃まで採掘所がありここで採掘された石は上野石と呼ばれ石碑、地蔵、墓などが作られた。その跡が今も残り独特の雰囲気を醸し出しています!

 

この写真のような採掘場は間歩(まほ)と呼ばれ地元の看板や記録によると10の間歩があり30人の石工夫が働いていたとあります。『発破(ダイナマイト)で岩を割り地下20メートルから尺六石(土台石)、石垣石(ケンチ石)を量産した。それらはトロッコで運び出された』(現地の看板より・鶉の里づくり委員会)


 

国道416号線沿いにある新しい白山神社の脇の山道を入っていくと右手に溜池がありさらに進むと岩谷不動院が見えます。


文久3年(1863年)に高僧が大岩石に建立とあります。この採掘所は江戸末期から採掘が始まったとされているので時期的に建立されたのは同じ時期と考えられます。福井市足羽地区の足羽山は採掘所として地元では有名ですがその採掘所でも不動明王を祀っているので採掘所には不動明王を祀る習慣があったのではないかと考えます。


山道にはトロッコの跡のような人工的に石を組み合わせたものが続きます。入り口には神社のようなものがあり一部、記録には稲荷神社とありますが狛犬なのでもともと白山神社はこちらに鎮座していたと考えます。さらにすすむと稲荷神社の石碑がありますが、祠や社はありません。この先も山道は続きますが道が険しくなってきたので一旦、戻りました。

 

この山奥には行者屋敷があり不動尊を刻み信仰したとあり永源寺の末寺で仙寿庵があったと伝わります。仙寿庵はすでにないので現在もある上野町にある永源寺


この永源寺は天正年間に創立された歴史あるお寺で、朝倉家滅亡後、一向一揆の騒乱で血の海と化したこの上野町を含む川西地区では治安が乱れ幽鬼が出没。永春寺(福井市つくも地区)の僧で本郷村荒谷で隠棲していた道芸禅師が仏力によりこれを折伏(しゃくぶく・悪をただし仏門に従わせる)された。その後、道芸禅師は高源寺を創立し曹洞宗の道場とした。

江戸時代に永源寺と名を改めて現在に至る。

お寺には六地蔵をはじめたくさんの石像があります。もちろん上野石だと思います。

 

福井市上野町の隣の佐野地区には上野の一里塚が今も残り佐野地区にはその昔、大きな館跡があったと伝わります。歴史は古く深堀りするとまだまだ出てきそうな地域です。資源の少ない日本で大きな岩や石を確保できることは越前国の強みでもあったのではないかなと考えます!

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