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参加日: 2020年8月2日

記事 (57)

2025年5月31日7
坂井郡33座のひとつ布久漏神社は??【式内社】継体天皇の皇女・円弥媛命由縁の地の丸岡町北横地に鎮座!
丸岡町北横地の福井丸岡線沿いに鎮座する布久漏神社(ふくろじんじゃ)。横地地区は継体天皇の九番目の皇女・円弥媛命(まるやひめ)が住んだとされる。福井丸岡線(県道30号線)は旧北国街道(北陸道)が基になっていて交通の要所だけでなく十郷用水が隣を流れていて重要な水路にも関係している。布久漏神社はもともとあわら市北潟の福良池付近に鎮座していて福留郷と呼ばれていた。福留郷は平安時代に坪江下郷に吸収された。戦国の騒乱によって打撃をうけ福良池付近の住民は離散。離散した住民が現在の丸岡町北横地や春江町針原へ移り住んだ為、布久漏神社を祀ったと考えられます。

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2025年5月18日6
坂井郡33座のひとつ井口神社は??【式内社】本荘春日神社境内社として鎮座!
人皇二十七代継体天皇は御即位前、男大迩命と称しておられた。其の頃、當国坂中井、高向、三国及び所々に御在住しておられた。国中の水利の不便を憂い給い、當国三大河の九頭竜川・日野川・足羽川及び坂井港を開かれ国中の治水を行なわれた。其の時一ノ岡に行宮を構えることになり、この地を名付けて河口之荘本荘と呼ばれた。そして継体天皇崩御の後、この地に社殿を造営し祭神として勧請し郷中一統の総社として崇敬し奉り延喜帝の時、式内に列せられた。

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2025年5月5日4
坂井郡33座のひとつ国神神社は??【式内社】丸岡城に鎮座していた國神神社と考える!
丸岡町の中心部に鎮座する國神神社。きれいに整備され初詣や丸岡祭りなどではたくさんの人々でにぎわいます。『「延喜式」神名帳に、坂井郡の「國神神社」としてその名が残る式内社で、一二〇〇年以前の創建である。社伝によると、継体天皇と倭媛との第二の皇子である·椀子皇子が隆誕した地「磨留古乎加」に皇子の胞衣(=胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めて神明宮とされたのが起こりとされる。天正四年に、柴田勝豊(柴田勝家の甥)が「磨留古乎加」に丸岡城を築城した際に、元あった場所から現在地に移された。「磨留古乎加」は「丸岡」の地名の由来となった。歴代丸岡城主の保護と崇敬を受けて、本多家時代の丸岡城下を描いた「円陵略」「丸岡城下絵図」「正保城絵図」のうち「越前国丸岡城之絵図」(国立公文書館蔵)にも、丸岡城郭の南側に「神明社」として描かれている。もと豊原寺の院家のひとつで丸岡城下に移った「宝積院」が、神社の別当寺として隣接していたという。

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福井県坂井市に住む郷土歴史・福井県が大好きな管理人のOkazakiの勝手気ままなサイトです。特に神社、織田信長の天正年間、新田義貞の南北朝時代が大好きです。
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