泰澄大師が開山した越前の山を越前五山と呼び現在でも神聖な山として頂上には社が建てられています。そんな越前五山のひとつ吉野ヶ岳、通称•蔵王山にクローズアップ!蔵王権現の謎と福井の関係をチェック!
1,神でも仏でもない!蔵王権現とは何か!
2,永平寺町松岡吉野地区の吉野ヶ岳
1、神でも仏でもない!蔵王権現とは何か!
蔵王権現は片足を上げた変わったポーズで独特の雰囲気が残る山岳信仰の本尊で現存している像の割合は少ない。片足や手を上げている為、バランスを崩しやすく転倒などで折れたりしやすく壊れやすい為である。
大きく足を上げる蔵王権現。wikipediaより ギメ東洋美術館。その姿は地下の悪魔を踏みつけているといわれる。役行者。Wikipediaより キンベル美術館。永平寺町吉野地区にある蔵王山の登り口。
そんな、蔵王権現は正式名所を金剛蔵王権現と呼び釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王と言われている。ただいろいろと問題のある御本尊でもあり正式には中国やインドから来た仏教でもなく、古事記や日本書紀に伝わる日本の神々でもない。日本で生まれた独自の仏様であり神仏習合の文化が生み出した一風変わった仏様である。明治時代の神仏分離令の際に蔵王権現は神でも仏でもないものとして排除された。その為、蔵王権現を祀る神社は神社庁に登録されていない上にお寺としても扱われていない。一部、ご祭神を安閑天皇などの日本独自の神様に置き換え神社としての道を歩む場合もあった。
そんな独自の道をゆく蔵王信仰は伝説の呪術師・役行者(えんのぎょうじゃ・役小角 えんのおづねとも呼ばれる)が開いたといわれているが役行者自体が謎多き人物でありその詳細は分かっていない。16歳で孔雀王の呪術を学び山で修業を行った。その卓越した呪術で鬼を自在に操ったといわれる。室町時代にその教えは急速に広まったといわれる。
2,永平寺町松岡吉野地区の吉野ヶ岳
福井県永平寺町松岡吉野地区ににある吉野ヶ岳は別名・蔵王山と呼ばれ白山信仰の祖・泰澄が開いた山と言われ越前五山のひとつとされています。しかし吉野という名前からも分かるように役行者との関係が深いのではと言われています。
役行者は大和国(奈良県)に生まれいくつかの山を開山した方でその中でも大峰山は大峰信仰ともいわれ、その山で苦行、修行、祈祷を行ってきた。そんな大峰山へ向かう2つの道を熊野、吉野と呼び主に熊野の道を登るものが多かった。吉野の道は真言宗醍醐寺の修験者が主に使用した道といわれる。
永平寺町松岡上吉野にある吉野ヶ岳の蔵王神社。
この福井県にある吉野ヶ岳は大峰信仰と同じ蔵王権現を祀っていることや、吉野ヶ岳は蔵王山と呼ばれそのふもとの集落には吉野境、上吉野などの地名が残っていてまさに蔵王山へ向かう吉野の道となる。ただ、大和国の吉野の道は真言宗の修験者が利用した道であったのに対し泰澄大師は天台宗なのでもしかすると越前五山の中でもこの吉野ヶ岳は真言宗の影響が何らかの形であった可能性がある。
吉野ヶ岳の山頂からは白山連峰を見渡すことができ北には泰澄大師が白山開山前に修業したと伝わる豊原寺(坂井市丸岡町)、西には越前五山の越知山、南には文殊山、日野山、そして東には白山がありその中心に位置する吉野ヶ岳は特別なものを感じます。
永平寺町松岡吉野地区にある松岡湯谷の湯谷神明神社。
この地区には蔵王山への登拝の道となっていてこの湯谷地区にはご神水があり雨宝童子を祀ると社伝にが残ります。この雨宝童子はアマテラスのことで真言宗豊山派の総本山・長谷寺に祀られている。長谷寺の御本尊は十一面観音であり、ここでも真言宗と白山信仰の十一面観音とこの永平寺町吉野地区は繋がっていく。
天正年間に織田信長はこの吉野ヶ岳をすみずみまで焼き払いその真相はすべて焼き払われた。この特別な山と考えられる吉野ヶ岳にどのような歴史があったのかは、数少ない神社や地域に伝わる話をまとめていくしかないのが現状です。
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