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坂井郡33座のひとつ横山神社とは??【式内社】三国真人の祖・椀子皇子の拠点か?坂井市丸岡町坪江
坂井市丸岡町とあわら市に連なる横山古墳群の麓に位置する神社。古墳の多さやその造られた時期から継体天皇との関係が強く考えられる神社。2つの横山神社に挟まれた位置に横山古墳群最大の前方後円墳の神奈備山古墳がある。さらにその横に椀貸山古墳(わんかしやまこふん)がある。実は、この椀貸山古墳は椀子皇子の墓とされています。
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2025年10月5日


坂井郡33座のひとつ鵜屎神社は??【式内社】継体天皇は鵜の排泄物を儀式で利用?三国町川崎の鵜森神社か!
三国町川崎に鎮座する鵜森神社は鵜屎神社の比定社と言われることが多い。ただ、いろいろ不明な点は多く詳細は分かっていない。≪社伝から読み取る3つのポイント≫その1鵜屎神社で採れた鳥の屎は化粧用として朝廷へ贈られた。その2当時は湖上に浮かぶ森に天照大神を祀り宮居を建てたのが鵜屎神社の始まり。その3継体天皇は18年の年月を坂井平野の治水に努めた。当時の化粧とは女性を美しくする現在のイメ
ージではなく、儀式に参加する女性などを神々に捧げるために化粧させたと考えるとこの斎神社で行われた儀式と化粧が結びついてきます。私はこの三国町覚善の白山神社が鵜屎神社の比定社と考えます。
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2025年8月14日


坂井郡33座のひとつ布久漏神社は??【式内社】継体天皇の皇女・円弥媛命由縁の地の丸岡町北横地に鎮座!
丸岡町北横地の福井丸岡線沿いに鎮座する布久漏神社(ふくろじんじゃ)。横地地区は継体天皇の九番目の皇女・円弥媛命(まるやひめ)が住んだとされる。福井丸岡線(県道30号線)は旧北国街道(北陸道)が基になっていて交通の要所だけでなく十郷用水が隣を流れていて重要な水路にも関係している。布久漏神社はもともとあわら市北潟の福良池付近に鎮座していて福留郷と呼ばれていた。福留郷は平安時代に坪江下郷に吸収された。戦国の騒乱によって打撃をうけ福良池付近の住民は離散。離散した住民が現在の丸岡町北横地や春江町針原へ移り住んだ為、布久漏神社を祀ったと考えられます。
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2025年5月31日


坂井郡33座のひとつ国神神社は??【式内社】丸岡城に鎮座していた國神神社と考える!
丸岡町の中心部に鎮座する國神神社。きれいに整備され初詣や丸岡祭りなどではたくさんの人々でにぎわいます。『「延喜式」神名帳に、坂井郡の「國神神社」としてその名が残る式内社で、一二〇〇年以前の創建である。社伝によると、継体天皇と倭媛との第二の皇子である·椀子皇子が隆誕した地「磨留古乎加」に皇子の胞衣(=胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めて神明宮とされたのが起こりとされる。天正四年に、柴田勝豊(柴田勝家の甥)が「磨留古乎加」に丸岡城を築城した際に、元あった場所から現在地に移された。「磨留古乎加」は「丸岡」の地名の由来となった。歴代丸岡城主の保護と崇敬を受けて、本多家時代の丸岡城下を描いた「円陵略」「丸岡城下絵図」「正保城絵図」のうち「越前国丸岡城之絵図」(国立公文書館蔵)にも、丸岡城郭の南側に「神明社」として描かれている。もと豊原寺の院家のひとつで丸岡城下に移った「宝積院」が、神社の別当寺として隣接していたという。
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2025年5月5日


坂井平野の歴史を刻む称念寺と丸岡町舟寄・長崎地区に残る『恩地』の姓
南北朝時代の雄・新田義貞の墓所があることで有名な丸岡町長崎の称念寺。それを北西に囲むように舟寄地区があり坂井平野の中心に位置することから歴史の表舞台に登場することが多い地域。そんな丸岡町舟寄・長崎地区に伝わる恩地という姓。織田信長と戦い怯える黒坂一族を護った旅籠屋にも注目。
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2024年1月14日


六地蔵 6体のお地蔵様が並ぶ意味は?天明と天保の大飢饉
福井県には多くの六地蔵があります。調べていくと天明の大飢饉、天保の大飢饉の供養として建てられたものが多いように感じましたが、すべての六地蔵がそうではありません。なぜそこに六地蔵があるか深堀していきます!
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2022年11月11日


福井県民は不動明王に熱い思いを持っている?越前国の不動明王!
不動明王は福井でも信仰の深い明王のひとつで三鈷剣を持ちその剣で魔を退散させるだけでなく、人間の煩悩をも断ち切るといわれます。北陸では不動明王の熱い思いがあったといわれてこの福井県には多くの不動明像があります。そこで越前国にある不動明王像をピックアップ!
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2022年9月15日


イワナガヒメの話が伝わる2つの地区。丸岡町熊堂・永平寺町石上
日本神話に登場するイワナガヒメ(石長比売)にまつわる話が伝わる地域があります。丸岡町熊堂地区と永平寺町石上地区です。このふたつの地区に伝わる話は共通点が多くあり同じ話であると考えられます。この話を少し深堀していきたいと思います。 イワナガヒメってどんな神様??...
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2021年9月28日


福井県で伊勢鳥居を見る!坂井市春江町田端 神明神社
坂井市春江町田端地区にある神明神社です。 この鳥居をよく見ると一番上の屋根のような部分『笠木』が小さな家のような五角形になっているのがわかると思います。このような鳥居を伊勢鳥居と呼び福井県内の神社をいろいろ巡っていますが敦賀市の金ヶ崎などで確認できますが嶺北ではほとんど確認...
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2021年5月2日


朝倉義景に反旗を翻す!堀江の乱 堀江景忠 あわら市下番
写真左・堀江景忠が朝倉軍を迎えるための陣を置いたあわら市中番の春日神社 写真中・竹田川北側・あわら市番田の堀江公番田館跡 写真右・激戦の地となったあわら市東善寺地区の春日神社はご神体以外全焼 戦国時代、越前朝倉家が隆盛を誇っていた時、現在のあわら市下番地区を中心に勢力を広げ...
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2021年1月12日


継体天皇の娘・千鶴姫の面影を辿る 春江町西長田
わずか3歳で亡くなったといわれる千鶴姫は春江町西長田で生まれたとされます。この地を治める5人の長のひとり、道麻呂の娘・琵琶女との子供とされ長田神社の長田池の水を産湯としたと伝わります。 そこから3キロほど離れた坂井町下兵庫にある大森円墳はこの千鶴姫が埋葬されているといわれて...
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2020年12月26日


淵龍の池【十郷十社】河口庄兵庫郷 春日神社(坂井市坂井町下兵庫)
この兵庫郷は河口庄の中でも中心的な郷の一つとされます。本庄、兵庫、細呂木郷を中心に関、大口、王見、溝江が分立。その後10の郷ができたと考えられます。また、本庄、兵庫、細呂木の郷で河口庄の半分以上の田んぼを有していたといわれています。(えんりゅう・兵庫地区まちづくり協議会を参...
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2020年12月20日


十郷用水に伝わる鹿伝説と十郷十社の春日神社
鹿が導いた水路として伝わる福井県坂井市の十郷用水。十郷とは10の地域を指し、その10の地域にはそれぞれその地域を束ねる郷社として春日神社が鎮座している。これを十郷十社といい現在もすべての神社が現存しています。
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2020年12月19日


継体天皇を祀る三国神社はもともと丸岡町にあった!
継体天皇の母・振媛(ふりひめ)は坂井市三国町の出身で滋賀県高島市の彦主人王(ひこうしのおう)のもとに嫁ぎ、継体天皇を生んだがすぐに彦主人王は亡くなる。その為、振媛は実家に帰り、ここ丸岡町山崎三ヶの地で継体天皇を育てたと日本書紀や古事記などの文献から伝わる。...
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2020年10月10日


越前一向一揆 総大将 下間頼照終焉の地 三国町下野
織田信長が一乗谷城を落とし越前を平定した後、朝倉家の元家臣達と一向一揆によって織田信長の勢力を追い払いますが、今度は朝倉家の旧家臣達と一向一揆での争いに発展します。 その際に登場するのが下間頼照(しもつま らいしょう)です。下間氏は石山本願寺の顕如に仕えた一族で織田信長との...
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2020年9月27日


明智光秀が過ごした越前での思いが詰まる明智神社
およそ10年の年月を越前で過ごした明智光秀。経済的には厳しいなか、のちの細川ガラシャが生まれるなど光秀や家族にとっては大切な時代だったと考えます。織田信長の焼き討ちから守り通した福井市東大味。それに感謝し地域の住民に建てられた明智神社。今もあの頃と同じ風景が残っています。
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2020年8月7日


