式内社。この辺りは多気(たけ)一族の居住地と伝わる。多気氏は平家の流れの中でも源氏との繋がりが強い一族。ただ、延喜年間に鎌倉武士の多気氏がこの越前にいたとなると時系列がおかしくなる。違う多気氏なのかな?御祭神は多気氏の御先祖と伝わる吉日古、吉日売。境内社は山王神社と八幡神社。もともとは山頂部にあったと伝わり現在の神社は山の中腹にあり地域を見渡せる。昔はこの山に住みついて時代に合わせて麓に降りたと推測。たくさんの古墳群があり奈良時代には勝戸郷と呼ばれ歴史が古い事は間違いなさそう。
御祭神はイシコリドメ(石凝姥命)。かなり珍しい神様で県内はもちろん県外でも初めてお会いした神様かも。天孫降臨の際にニニギの供をした5つの神•五伴緒神の1柱。三種の神器の八咫鏡を作った神様と言われている。なぜ、ここ鯖江市入町に鎮座しているかは不明。朝倉家建立の心月寺が一時的にこの地にあった。心月寺は朝倉家5代•朝倉教景の菩提を弔うために出来たお寺で一乗谷にあったが織田信長の兵火にあいここ鯖江市入町に移ったが江戸初期•結城秀康によって現在の足羽地区に移された。
越前国大蔵ノ庄五ヶ村の総鎮守で熊野権現三千石とある。平清盛の領地とあるが後に北条時政が治める。
藤原摂関家が治めた片上庄八村のひとつ。鯖江市には春日神社が4つしかない。その内の3社がここ片上庄にある。下がり藤の神紋。神宮寺は般若寺が務めた。越前斎藤氏の流れ斎藤氏、進藤氏が治めた。隣町の吉谷町は元は御庄と呼ばれていた片上御庄を中心にここ大野町は沼地だったので早い時期から開発が行われ、大きくひらけた。
建武3年(1336年)新田義貞に従って越前に来た伊予の名族•河野通治が落城の直前、その子•通弘に守護神たる八幡神像をさずけた。その後通弘は小黒地区に居を構え守護神を安置し八幡神社とした。観音信仰が伝わる地域で寛永年間(1624-1644年)小黒観音堂が開基。西山公園、長泉寺、小黒が繋がる峠道がありその道にはたくさんの石仏群が存在する。
同じ地区にある天満神社の境内社
鯖江市鳥井地区に鎮座する春日神社の御分霊を先祖氏子各位によって御分祀された社である。正平22年(1367年)光照寺建立の際、春日明神のお告げによって日野川の淵より鐘を得る。これを楼に吊るし朝夕鳴らし邪気を払った。その為、近郷の民は安らかに、田の収穫も大きくなったので「久満田」と称して熊田と書かれる。
氏神はオモイカネノミコト(八意思兼神)。以前は八幡神社を中心としたが、いつの頃からか与呉神社の摂社となった。小泉地区には朝倉家家臣の富永刑部の館跡があり、かつてはこの屋敷を中心に集落を作った。屋敷周辺には稲荷神社、相ノ神、諏訪神社などがあったが与呉神社に合祀された。