藤原氏が治める北国荘園が広がる坂井市の歴史 | 不死鳥の如く蘇る越前国
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不死鳥の如く蘇る越前国

古代、越前と深い関係のあった継体天皇。その古墳や当時、整備された十郷用水など平城京の影響が強く春日神社が多くあります。同じく水に関する祈願などで八幡神社も農村地では多く見られます。山間部では白山信仰が盛んでそれに関係した白山神社。古くから港町として栄えた三国町では豊漁祈願の神社が数多くあります。戦国時代には丸岡町に白山豊原寺があり勢力を誇っていました。江戸時代には丸岡藩が置かれ城下町として栄えました。

夜の丸岡城.jpeg

現存十二天守・丸岡城

 織田信長が柴田勝家の甥・柴田勝豊に命じて造らせた丸岡城。それまで豊原寺を中心としていた丸岡地区はこの丸岡城を中心に城下町が形成されていきます。

 江戸時代に入ると結城秀康の重臣・今村盛次が治めたが藩内の権力闘争に敗れ流罪となると勝利した本多富正と共に生活し従兄弟にあたる本多成重が治めるようになる。府中の本多富正、丸岡の本多成重は越前松平家を支えることとなります。

 丸岡城天守は日本全国に現在も残る12の江戸時代以前に建てられた天守のひとつとして国の重要文化財に指定されています。城下町としての遺構が多く残る坂井市丸岡町には城門跡に石碑があり外堀なども確認できます。

継体天皇と振媛

継体天皇が育った高椋地区

​ 坂井市丸岡町の山すそには六呂瀬古墳群をはじめ多くの古墳群があります。あわら市・坂井市・永平寺町にまで続く古墳には当時、絶大なチカラを持つ豪族がいたことが分かります。

​ そんな中、あの古事記には丸岡町のことがいくつか記載されています。継体天皇の母・振媛は夫の彦主人王が亡くなったので実家のある三国に帰って幼き継体天皇を育てたといわれています。丸岡町では継体天皇が育ったといわれる高向地区。振媛の出身でもある三尾氏の墓とも考えられる横山古墳群。継体天皇の息子や娘を祀る神社も多くあり若き日の継体天皇の足跡が語り継がれています。

 継体天皇の影響力は振媛の実家でもある三尾氏の影響が大きくその影響力は現在の石川県から福井県にまで及ぶことからその凄さが分かります。

坂井町下兵庫の春日神社の鹿.jpg

​藤原氏の北国荘園

  坂井平野は藤原氏の荘園がおかれ栄えた地域。藤原氏の菩提寺・興福寺の荘園として河口荘、坪江郷が置かれ藤原氏の大和(現・奈良県)などの近畿圏を除けば最大の荘園だったため藤原氏繁栄の礎となりました。

 河口荘では10の郷に分けられそれぞれに春日神社が祀られ十郷十社と呼ばれた。その後も春日神社が多く祀られあわら市、坂井市、福井市にかけて多く鎮座している。

​ その藤原氏が整備した十郷用水は現在も使われている農業用水でその水路を案内したとして鹿が祀られていることが多い。

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継体天皇バナー.jpg
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