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【魚津城の戦い】不運の城・魚津城跡で感じた命を懸けた上杉軍と守護神スサノオ
魚津といえば魚津城。上杉景勝と柴田勝家ら織田方との戦いの場となったのが魚津城です。命を懸けた上杉軍の熱い想いを支えた守護神スサノオ。魚津城で戦い敗れた上杉軍は総勢3800人!魚津城の中条景泰たちは天正10年6月3日に自害し、魚津城は落城した。しかししかし!この日の前日、歴史的急変が起きていました!そう、本能寺の変!歴史の渦に巻き込まれた魚津城の悲劇を感じながら初めての魚津市内探索のご報告です!
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2025年8月29日


朝倉家大野郡司・朝倉景鏡の決断と越前朝倉家終焉の地・福井県大野市
戦国大名・朝倉義景終焉の地として知られる大野市。最後に朝倉義景を裏切り織田信長へその首を差し出した朝倉景鏡。そんな朝倉景鏡が治めた大野市には越前朝倉家の話が多く残ります。そんな大野市で感じる越前朝倉家の想いをご紹介!
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2024年12月27日


信長・秀吉・家康に仕えた気相の人・金森長近が造り上げた越前大野の城下町
戦国時代を長く生き抜いた金森長近が造り上げた福井県大野市の街並み。越前の小京都と呼ばれる大野市。越前朝倉時代からの流れを受け継ぎながらも新しく亀山に大野城を築き上げました。信長、秀吉、家康に仕え戦国を生き抜いた武将・金森長近と越前大野の関係をまとめました。
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2023年11月10日


細呂木郷の中心地・神宮寺城跡の寺から城への変貌!
令和3年にあわら市指定文化財の指定を受けた神宮寺城跡。その説明には加賀一向一揆に対する最前線の重要拠点とあり、それ以上の説明はない。不思議に思いこの神宮寺城について深堀りしていくと南北朝時代、さらに奈良時代にまでさかのぼり興味深い内容がぞくぞくと出てきたのでここにまとめます。
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2023年2月12日


加賀一向一揆と対峙した金津溝江氏とは? あわら市大溝
戦国時代の越前の北部、加賀との国境は常に争いが絶えず越前を治める朝倉家と加賀一向一揆の戦いはとても多くこの現在のあわら市の辺りは越前朝倉家にとって大切な拠点のひとつだったと考えられます。そんな地域を守っていたのが溝江氏です。...
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2021年7月14日


淵龍の池【十郷十社】河口庄兵庫郷 春日神社(坂井市坂井町下兵庫)
この兵庫郷は河口庄の中でも中心的な郷の一つとされます。本庄、兵庫、細呂木郷を中心に関、大口、王見、溝江が分立。その後10の郷ができたと考えられます。また、本庄、兵庫、細呂木の郷で河口庄の半分以上の田んぼを有していたといわれています。(えんりゅう・兵庫地区まちづくり協議会を参...
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2020年12月20日


明智光秀が過ごした越前での思いが詰まる明智神社
およそ10年の年月を越前で過ごした明智光秀。経済的には厳しいなか、のちの細川ガラシャが生まれるなど光秀や家族にとっては大切な時代だったと考えます。織田信長の焼き討ちから守り通した福井市東大味。それに感謝し地域の住民に建てられた明智神社。今もあの頃と同じ風景が残っています。
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2020年8月7日


