御祭神はイザナギ。白山平泉寺領。多くの田んぼを持っていたがそれを使い切れていなかった為、大槻、矢、矢戸地区の村人が田を耕し自分たちの年貢として出していた。その為、大きな田をもつ地域という事で大田と呼ばれる。のちに太田に改称。境内向かって左側はもともと境内だった可能性あります。参道が少し不自然な形になっています。神社の境内は道路にされて削られるのは結構あるあるです。
住吉三神が大矢戸村の奥山に陣を構え暴徒を平定された後、河内の野田の庄(大阪府堺市)へ戻られる際に村人が別れを惜しんで悲しむので住吉の神は自らの姿を彫り村人に与えた。村人は氏神として祀りあげた。丘陵地中腹には大矢戸古墳がありその昔、豪族が陣を構えた跡と伝わり「ジンガマ」と呼ばれる。6世紀末のものと思われる石室などが発見されている。神社に残る社伝を実際に発見された古墳などが裏付ける貴重な話。
御祭神はアメノコヤネ。良縁の樹と呼ばれる木があり恋愛や縁結びのパワースポットとして有名。この良縁の樹は夫婦杉に見えるが実はケヤキと杉の木の根本がくっついているという変わった木。社伝には筒井順慶が社殿を造営とあります。これはかなり驚く内容。筒井順慶といえば松永久秀のライバルとして有名な大和の戦国武将。越前一向一揆の時に越前に来たみたいですが越前と筒井順慶の繋がりがあるのは凄く興味深いです。
明治15年(1882年)大野藩(四万石)の第七代藩主の土井利忠の御霊を勧請し創建。幕末の財政難を乗り切り数々の改革を行った名君。個人的には大野丸という船で蝦夷地開拓をしたことです。内陸地の大野市が海や蝦夷地に力を入れた事はとても興味深いです。越前大野城の入り口にある神社。大野城は織田信長が越前一向一揆を収束させた恩賞として金森長近に与えられた大野に城を建てたことが始まりです。
白山平泉寺領。金森長近が大野地区を治めた後は織田信長の孫•織田秀雄が大野を治めた。その際、この小矢戸地区は家臣の生駒直勝が治めた。生駒家はのちに加賀前田家に仕え幕末まで続く。この小矢戸地区にある山は勝山市と大野市の境に位置し矢戸観音と呼ばれ白山信仰の影響が強い地域。南北朝時代には北朝方の砦があったとされる。
式内社。御祭神はオオナムチ。養老元年(717年)創建。大野郡9座のひとつとして延喜式神名帳に載っている。泰澄大師が白山登拝の前にこの地に滞在た事が伝わる。越前朝倉家により焼き討ちされている。大野市はもともと斯波氏の影響力の強い地域なのでなんらかの形で争いに巻き込まれたと考える。元和年間(1615-1623年)大野城主•金森氏によって再建。長い参道と拝殿横に御霊水があり大野市のキレイな水を感じる事が出来る。
御祭神はイザナミとカグツチ。社伝には大野地方の熊野信仰の先達として勧請とあるが熊野権現と呼ばれる神々は祀られていない。拝殿と本殿を繋ぐ幣殿が横から見ると長くしっかりと瓦葺きで立派です。この辺りはもともと横町と呼ばれ天正年間に金森長近によって造られた城下町の一番南に位置する。明治に入りカグツチを祀る比佐古神社を合祀。
御祭神は菅原道真。もとは篠座、西二番町、西三番町などが合わさって天神町となる。用水を境に西町、東町に分かれている。大野市では菅原道真を祀る神社はいくつかある がほとんどが合祀されていて天満神社を称するのはここのみ。天満神社といえば梅ですがここは桜がキレイに咲いてました。