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【魚津城の戦い】不運の城・魚津城跡で感じた命を懸けた上杉軍と守護神スサノオ

更新日:9月23日

不運の城・魚津城跡で感じた上杉軍と守護神スサノオ

 先日、仕事で富山県魚津市へ伺うことがありました。隣の黒部市へは何度か行ったことがありましたが魚津は通ってはいましたがあまり意識していなかった地域です。ところが魚津の街を歩いてみるとなかなか歴史的に面白く大切な地であることに気づきました。初めての魚津市探索で感じたことをまとめてみました!


不運の城・魚津城とは?

魚津市内を通る北陸街道の案内
魚津は北陸道の要所
小学校跡地にある魚津城跡の碑

魚津といえば魚津城上杉景勝と柴田勝家ら織田方との戦いが魚津城の戦いです。


 位置的には魚津は北国街道(北陸道)が通り魚津を北に抜けると越後に入り北国街道最大の難所ともいわれる親不知があります。そこを超えると上杉景勝の居城・春日山城が見えてきます。この時期の魚津城の周辺状況ついては、越中国の富山城はすでに織田方・佐々成政を城主としていたが東越中にあたる魚津城付近は未だ上杉軍の支配下にあった。織田方・柴田勝家や佐々成政から見ると魚津を抑えれば越中国を平定でき、上杉家を滅ぼすためのスタートライン

に立てるという思いがあります。逆に上杉景勝からすると魚津をとられると目の前まで織田方が迫ることになり、何としても守り抜きたい城でもあります。


 そんな魚津城を守るのは中条景泰を筆頭に上杉家譜代の家臣たち3800人!そして天正10年(1582年)織田方の柴田勝家は3~4万の大軍で魚津城を取り囲んだ。中条景泰ら魚津城を守る十二将は直江兼続に宛てに「魚津在城衆十二名連署状」を送ります。この書面には命をかけて魚津城で戦うことを上杉景勝様にお伝えくださいとあります。花押付きの連名で、

中条景泰、竹俣慶綱、吉江信景、寺嶋長資、蓼沼泰重、藤丸勝俊、亀田長乗、若林家吉、石口広宗、安部政吉、吉江宗信、山本寺景長の十二名の名前があったとされます。


一旦は、近くの天神山城まで援軍に来た上杉景勝ですが武田家が滅んだ為、越後の東、信濃、上野からの織田方の越後侵入の連絡を受けた上杉景勝は急いで春日山城に引き返します。


 状況を察した魚津城の中条景泰たちは天正10年6月3日に自害し、魚津城は落城した。その時、中条景泰ら12人の将は自身の耳に穴を開けて名札を通し、誰の首かを分かるようにしたうえで自刃したと伝わっています。首実検の手間をとらせないように、そして敵軍に向けた武士の意地を見せつけた死となりました。


しかししかし!この日の前日、歴史的急変が起きていました!そう、本能寺の変


 つまり、魚津城落城の日、織田信長はこの世にいなかったのです!その連絡を受けた柴田勝家は急ぎ越前に引き返し、越後に侵入した織田方も自分の城に戻り情勢を見守りました。そんな中、上杉軍はすんなり魚津城を取り戻します。魚津城十二将の壮絶な最期と、魚津城落城のタイミング。なんとも不運と感じますが3カ月もの長い間、織田方と戦い続けていた中条景泰らにもう少し頑張ればよかったのにという言葉はかけられないですよね。命を懸けて戦い尽きた時が本能寺の変と重なったというのが正しい解釈でしょう。


■中条景泰ら魚津在城衆十二名の供養塔

 帰りに歩きながらこんだけ命をかけたのに魚津城跡地には中条景泰らの石碑や供養塔がなかったことに少し苛立ちを感じていました。魚津の人々はもっと魚津在城衆十二名の情報発信したり供養するべきだ!と歩いていると目の前に供養塔の案内が出てきた!笑


魚津市にあった上杉軍諸将の供養塔
上杉軍の魚津への想いが集まっている!

 まぁ....あるよね。供養塔。


 もちろん行きましたよ。お寺の境内を抜けて裏手にありました!


『上杉軍将兵之供養塔』


普通の檀家さんのお墓の中に供養塔。しかも新しい最近なのかな?


吉江信景、亀田長乗らの首塚がお寺にあったが移転したのでここに供養塔ができたとある。この2人は魚津在城衆十二名連署状に記載され

ている武将だ!


華王寺と看板にある。天正から続くお寺?なのか?

魚津市のシンボル魚津神社にはスサノオの名前も

■魚津神社に合祀された魚津城の守護神


 現在はシャッター街になっている魚津市内の北国街道。その道沿いに魚津神社が鎮座しています。昭和31年の大火によって地域の5つの神社を合祀したとされています。境内社には愛宕神社が鎮座していてこちらも寛文11年(1671年)、元禄15年(1702年)の大火によって防火を祈りカグツチを祀っている。


 以前から富山県民の防火への祈りは他の県と比べ意識が高いなと感じていました。その理由は、神社の拝殿・本殿の屋根にシャチホコが多く飾られている事です。シャチホコは火事の際に水を出し火を抑えると考えられていました。福井県の神社にはあまり見られない神社にシャチホコ。富山県の神社に多く見られるのは過去の災害による地域住民の防火へに意識の高さなのかなと感じました。また、この境内社・愛宕神社のお祭りは火祭りと呼ばれ全国的にも珍しいお祭りとされます。


 さて魚津神社にはスサノオとその妻・クシナダヒメが祀られています。地域の5つの神社の神々と一緒に祀られているスサノオとクシナダヒメ。説明には魚津城の守護神とありました。当時としては珍しい平城で守備に適していなかった魚津城を3カ月も守り続けた上杉軍。まさに荒神のように魚津城で戦った上杉軍諸将の戦いぶりが私の頭の中をよぎります。


 魚津神社の神紋は五つ巴紋。これは勾玉を意味するともいわれる神紋です。魚津を北に新潟県の糸魚川周辺は勾玉の産地として有名です。もしかして古代の魚津は糸魚川周辺と深い繋がりがあったのかもしれません。そして魚津神社向かって左手に鎮座する愛宕神社。2メートル以上の台座の上にある本殿はとても神秘的です。

 今回の魚津での仕事の合間の魚津探索はとても興味深く、印象深いものとなりました。魚津の歴史越後の上杉家や古代の越の国の解明にもつながるような気がします。今後、時間をつくって魚津地区を深堀りしていきたいです。

コメント


​坂井町、丸岡町、三国町、春江町の4つの地域が集まった坂井市。

​福井駅前の福井城を中心とした城下町。一乗谷周辺の東郷地区。足羽など。

​あわら温泉のある地域。石川県との県境にも辺り歴史的に見ても面白い地域。

​福井県の内陸部の山間部。白山信仰の中心地としてその遺構が多い地域。

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管理人
福井県坂井市に住む郷土歴史・福井県が大好きな管理人のOkazakiの勝手気ままなサイトです。特に神社、織田信長の天正年間、新田義貞の南北朝時代が大好きです。
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