六地蔵 6体のお地蔵様が並ぶ意味は?天明と天保の大飢饉不死鳥の如く蘇る越前国
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六地蔵 6体のお地蔵様が並ぶ意味は?天明と天保の大飢饉


六体のお地蔵様が並んでいる風景。福井県ではそんなに珍しい風景ではないくらい至る所にあります。この六体のお地蔵様はそれぞれ意味がありそしてその地にある理由もあります。そんな六地蔵を深堀していきます!

この3つの地域に共通しているのは天明の大飢饉で被害が多かった地域ということ。そして福井市片山町の六地蔵にはしっかりと天明の大飢饉の供養として建てられたとあります。福井県ではこの天明の大飢饉の供養のために六地蔵を祀ることが多かったのではないかと考えます。天明の大飢饉(1782~1788年)とそのあとに起きた天保の大飢饉(1835~1837年)を合わせると福井藩では6万人を超える餓死者が出たといわれていて丸岡藩や鯖江藩などを合わせるとその被害は大きくなります。

 

なぜ、六地蔵を祀ったのか?


輪廻転生(りんねてんしょう)という言葉をご存じの方は多いと思います。人が死んでも新しい命に生まれ変わることを輪廻転生と言います。しかし、生きている間の生き方によって生まれ変われる世界が違ってくる。それを六道と呼び6つの世界を表しています。


1つめは地獄道。六道の中で最も苦しいといわれる世界。

2つめは餓鬼道。飢えによる苦しみを感じる世界。

3つめは畜生道。これは動物の世界。日々食うか食われるかの不安を抱く世界。

4つめは修羅道。日々戦いを行う世界。

5つめは人道。現在、私たちが生活している人間界の世界。

6つめは天道。いわゆる私たちがイメージする天国の世界です。


この6つの世界を六道と呼び私たちは死んだ後、どこかの世界で生まれ変わるという考え方です。その時に6つの世界にそれぞれのお地蔵様がいて私たちを救い出してくれるという内容です。ちょっと面白いのは天道にも救い出してくれる日光地蔵がいるということです。

 

あわら市柿原にある六地蔵は一枚の石に6体のお地蔵様を彫ったものでほかの六地蔵とは雰囲気が違います。これは結城秀康の家臣・多賀谷光経の墓所と菩提寺にある六地蔵です。多賀谷光経は1607年に亡くなっているので他の六地蔵より歴史が古いのではないかと考えます。その為、推測ですが一枚の石に彫っていった六地蔵は一体づつの六地蔵に比べて造られた時期が古い可能性があります。これは今後、六地蔵を見ていく中でチェックしていきたいところです。多賀谷光経の菩提寺のあわら市柿原の専教寺の六地蔵はなんだか浮かんで宙に浮いているようにみえて幻想的な六地蔵だと思います。


そしてやっぱりこの考え方は仏教的な考え方でもあるのでお寺の影響力が強い地域には六地蔵があります。福井市一王寺町には古くは大きな寺院があったと伝わり神社の境内には当時のものと伝わる石塔などと一緒に六地蔵が納められています。なんだかすべてのお地蔵様がこちらを見ているような独特の雰囲気です。勝山市平泉寺はもちろん白山平泉寺。三国町南本町にも性海寺という古く影響力のある寺院があります。

 

この記事を書きながらいろいろ気になったのが光背の有る無しも、もしかしたら時代的な背景があるのかなと感じました。(光背・お地蔵様の後ろにあるもので今回の記事では越前市矢放町、福井市一王寺町、勝山市平泉寺町のお地蔵様についているものです。)まだまだ、深堀するといろいろ出てきそうな六地蔵。坂井市丸岡町にも多いと情報があるのでもっともっと調べていきます!

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