継体天皇を祀る三国神社はもともと丸岡町にあった!
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継体天皇を祀る三国神社はもともと丸岡町にあった!


継体天皇の母・振媛(ふりひめ)は坂井市三国町の出身で滋賀県高島市の彦主人王(ひこうしのおう)のもとに嫁ぎ、継体天皇を生んだがすぐに彦主人王は亡くなる。その為、振媛は実家に帰り、ここ丸岡町山崎三ヶの地で継体天皇を育てたと日本書紀や古事記などの文献から伝わる。


ここで坂井市三国町と坂井市丸岡町山崎三ヶでの距離的におよそ20キロあります。当時、自動車もないのになぜ、こんなに遠い地で子育てをしたのか?


実は当時の坂井市三国町は『越国三国の坂中井』といい現在の坂井市だけでなく福井市、石川県加賀市まで含むかなり大きな地域だったといわれます。振媛は坂井市の地に戻る際に、母・三国命のいる高向村に行くと伝えています。実は三国とは一族の名前で三国一族の母のことを三国命と呼んでいると思われます。つまり西暦400年頃、この三国一族が坂井市を中心に勢力を誇っていたと考えられ坂井市丸岡町に多くの古墳が存在することを考えるとこの辺りが日本書紀や古事記に書かれている三国の地なんだと思います。三国一族の治めた地それが三国。


事実、現在の坂井市三国町の三国神社は1544年に建立されており、建立当時は水門神社、桜谷神社と呼ばれ三国神社と呼ばれたのは明治に入ってからである。継体天皇が亡くなったとされる531年以降に、継体天皇を祀る三国神社は創建されたが、どこにどんな神社があったかは分かっておらず、廃絶、または何か形を変えて現在に残っている可能性があると考えます。現在の三国神社は後裔(こうえい)と呼ばれ継体天皇を祀ったその時の神社を引き継いでいるとのスタンスです。


現在の坂井市三国町にもたくさんの継体天皇ゆかりの地がある。しかし、古墳の数はダントツで坂井市丸岡町にある。継体天皇の出身一族が眠る丸岡町、出身一族が住んでいたとされる丸岡町。531年以降、継体天皇を祀った三国神社は坂井市丸岡町に建立されたと考えます!

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