不死鳥の如く蘇る越前国
あわら市の神社・歴史
温泉街として有名なあわら市ですが、北陸一向一揆の本拠地・吉崎御坊があり織田信長や朝倉氏との激戦が繰り広げられた地域です。また加賀との国境もあり加賀百万石の前田家と朝廷の関係を探るため厳しい関所が置かれたことでも有名・細呂木地区。継体天皇との関係も深く春日神社が多いです。
越前・吉崎御坊
浄土真宗の北陸の拠点・吉崎御坊は本願寺第8世法主の蓮如があわら市にある北潟湖の吉崎山に築いた。
そんな吉崎御坊が勢力を拡大したのが加賀の守護大名の跡目争いです。守護大名の富樫政親は真宗高田派の支援を受ける弟の幸千代との争いに敗れ加賀を追われます。そんな政親は吉崎御坊の蓮如を頼り再び、守護大名に返り咲きます。
吉崎御坊は栄え人々が集まります。そんな吉崎御坊の勢力が拡大することを恐れた富樫政親は厳しく吉崎御坊を統制していきます。それに反発した吉崎御坊は富樫政親とその子を討ってしまいます。ここから加賀国は一向一揆の国となります。
そんな吉崎御坊の最大の敵は越前朝倉家でした。永正3年(1506年)とうとう越前朝倉軍と一向一揆が九頭竜川で激突しますが一向一揆勢は敗退。朝倉軍は吉崎御坊を焼き払います。
その後。吉崎御坊は廃坊となり現在は浄土真宗東西両派によって管理されています。
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北国荘園の中心・本荘
あわら市・坂井市は藤原氏の北国荘園の河口荘、坪江郷が置かれました。これは藤原氏の地元・大和を除けば最大規模の荘園と言われています。
そんな河口荘の中心地として栄えたのがあわら市本荘地域です。本荘地区はあわら市中番・下番・上番辺りを指しそこに鎮座する本荘春日神社は荘園内に置かれた春日神社の総社とされ父神とされました。そして本荘地区の隣の宮前地区に鎮座する御前神社は母神とされました。
河口荘は10の郷に分かれそれぞれに春日神社を祀られました。現在も十郷十社と呼ばれすべての神社が存在します。河口荘を流れる十郷用水は藤原氏が整備した農地用水で1000年経った現在でもパイプライン化されましたが現役で利用されています。
金津の溝江氏・あわらの堀江氏
戦国時代にはあわら市には大きな勢力が2つありました。
ひとつは金津地区を治めた溝江氏。溝江氏は越前朝倉家に仕えた一族ですが織田信長により朝倉家が滅ぼされると織田信長に降伏。所領は安堵されました。しかし、加賀守護の富樫氏などをかくまっていたこともありその後、一向一揆によって滅ぼされてしまいます。
もうひとつはあわら市本荘地区を拠点とした堀江氏です。北国荘園の流れから栄えていた地域を拠点としていたため大きな勢力を持った堀江氏。朝倉家に仕えていましたが、謀反を起こしあわら市で朝倉義景の命を受けた金津の溝江氏と戦かいました。
敗れた堀江氏は一向一揆を頼り、のちに織田信長にも仕えることになります。あわら市は越前北部に位置し加賀との争いなど数々の戦いが行われた地域でもあります。