​織田信長と越前国の年表

越前国の動き
全国の動き
永禄8年5月
将軍・足利義輝が三好義継らによって殺害 永禄の変
永禄10年3月
朝倉家家臣の堀江景忠が加賀一向一揆と手を結び謀反を起こす
永禄10年11月
足利義秋が一乗谷入り
永禄11年4月
足利義秋が朝倉館で元服し足利義昭と改める
永禄11年6月
義景の嫡男である阿君丸が急死
永禄11年7月
足利義昭が織田信長を頼り越前を出国
永禄11年9月
織田信長が上洛。足利義昭を将軍とする。
永禄13年4月
天筒山城・金ヶ崎城が織田軍の攻勢に落城
織田信長の越前出兵。浅井長政の裏切りにより京都に撤退
元亀元年6月
姉川の戦い(織田・徳川 対 浅井・朝倉)
姉川の戦い(織田・徳川 対 浅井・朝倉)
元亀元年8月
朝倉・浅井連合軍が織田領の近江坂本に侵攻
野田城・福島城の戦い(織田 対 石山本願寺)
元亀元年9月
志賀の陣(織田 対 朝倉)朝倉義景は比叡山延暦寺を頼る
元亀元年11月
朝廷の勅命により織田信長と和睦
元亀2年1月
元亀2年2月
甲斐・武田軍の三河・遠江侵攻
元亀2年5月
織田軍の伊勢長嶋の一向一揆攻め
元亀2年6月
朝倉義景が本願寺・顕如と和睦
安芸国の毛利元就死去
元亀2年8月
浅井・朝倉連合軍が横山城、箕浦城を攻撃するが失敗
元亀2年9月
比叡山焼き討ち
元亀3年7月
朝倉義景が浅井支援の為近江入り。しかし前波吉継や富田長繁ら有力家臣が信長方に寝返る。
織田信長の浅井攻め
元亀3年10月
浅井・朝倉連合軍が羽柴秀吉の守る虎御前山砦を攻撃するが失敗
元亀3年12月
朝倉義景が越前へ撤退
三方ヶ原の戦い(武田 対 徳川)
元亀4年4月
武田信玄死去
元亀4年7月
織田信長、足利義明を京から追放 室町幕府の滅亡
天正元年8月
8日・小谷城を包囲した織田軍に対して朝倉義景が2万の軍勢で救援に向かい余呉に本陣を敷く。12日・朝倉方の大嶽砦が織田方の手に落ちる。13日・義景は撤退。しかし織田方の猛攻撃にあう刀根坂の戦い。14日・朝倉軍は壊滅的な被害を受ける。15日・義景はわずかな手勢で一乗谷に帰還。朝倉景鏡の進言を受け一乗谷を捨てて越前北部の大野郡で形勢を立て直すことにするが、頼みの白山平泉寺が織田方につく。20日・六坊賢松寺にて朝倉景鏡の裏切りを受け朝倉義景が自害する。
朝倉義景自害 浅井長政自害
天正元年12月
松永久秀が織田信長に降伏
天正2年1月
富田長繁を大将に土一揆が起き、越前守護代・前波吉継を殺害。
越前で一向一揆が起こる
天正2年2月
富田長繁が一向一揆勢と対立。裏切りに合い富田長繁が殺害される。
天正2年4月
一揆勢は金津の溝江館を落城させた後、白山平泉寺と朝倉景鏡連合軍を攻撃。朝倉景鏡討死。
天正2年5月
一揆勢は織田城・朝倉景綱を攻撃。景綱は逃亡。越前国を一向一揆勢が治める。
天正2年9月
長嶋一向一揆が鎮圧
天正3年5月
長篠の戦い
天正3年8月
織田信長が越前一向一揆を攻撃。一向一揆勢は壊滅し一部は加賀へ逃亡。
天正3年9月
織田信長は越前8郡75万石を柴田勝家に与え北ノ庄城主に命じた。越前府中10万石は前田利家・佐々成政・不破光治に均等に与えられ、府中三人衆として勝家の補佐・監視役を担った。また、大野3万石は金森長近に、2万石は原長頼に与えられた。越前国掟を定める。
天正5年2月
織田信長 雑賀衆を攻撃
天正5年9月
手取川の戦い(上杉 対 織田)
天正5年10月
信貴山城の戦い(織田 対 松永)
天正5年11月
織田信長が右大臣に就任
天正6年3月
上杉謙信死去
天正7年5月
安土城が完成
天正8年3月
織田信長と本願寺・顕如が和議
天正8年8月
石山本願寺が焼失 石山合戦が終わる
天正8年11月
柴田勝家が加賀一向一揆を鎮圧
天正10年6月
柴田勝家が魚津城の戦いから急遽、北ノ庄城へ戻る。
本能寺の変