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木曽義仲が白山平泉寺に贈った藤島七郷の意味

更新日:2023年3月29日

 加賀・篠原の戦いで勝利した木曽義仲は京を目指し越前国に進軍しました。


 寿永2年(1183年)6月1日に起きた篠原の戦い。その後、6月末には比叡山延暦寺との交渉を行っているのでこの越前国をスムーズに1か月もかからず通り抜けたことになっています。

 

吉田郡永平寺町光明寺の白山神社に伝わる社伝には

 

木曽義仲が治承4年(1180年)に以仁王の令旨を受けて、平家追討の軍を進めるに際し、白山大権現に戦勝を祈願するため太夫坊覚明に代参させた。俱利伽羅谷や加州篠原で勝利を納めつつ、当地に着陣されたとき、九頭竜川の洪水で舟筏が出せないので覚明に願文を認めさせ、弟野太郎光弘を白山大権現に代参祈願させたところ、洪水が治まり数万の軍兵は無事に渡河することができた。そこで神徳を称え白山三所と皇子七ケ所を建立奉斎した。』


 

この社伝からわかることや気になる点を抜粋しました!

  • 1180年当時の越前国での白山大権現の影響力

  • 謎の僧・覚明の話がこの越前に残る

  • 弟野太郎光弘という人は??

 まずは1180年という年は以仁王(もちひとおう)が全国に平氏討伐の命を全国の源氏や寺社に呼びかけた年です。結果的にこの以仁王の挙兵は失敗に終わります。しかし、この時から木曽義仲は挙兵の準備を行い一度は越前国へ入ったものの、燧ケ城の戦いに敗れ、越中まで引き返します。この燧ケ城の戦いで敗れた原因は白山平泉寺の長吏斉明の裏切りによるものでした。その後、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲は平家軍に大勝!白山平泉寺の斉明は捕らえられ処刑されています。つまり白山平泉寺と木曽義仲はあまりいい関係ではなかったと考えられます。

 そんな中、木曽義仲は再度、越前に入り30日もかからず比叡山延暦寺へ向かいます。

※写真は白山平泉寺の2の鳥居※


社伝の中で覚明という僧が登場し白山大権現に戦勝祈願のため代参したとあります。この覚明という僧、実は比叡山延暦寺との交渉の際にも登場する人物でですが、その内容は平家に味方すれば延暦寺は滅亡するだろうと恫喝めいた内容になっています。そんな強硬的な姿勢を貫いた交渉スタイルは白山平泉寺にも行われたと考えます。表向きは戦勝祈願ですが、白山平泉寺のせいで大敗を喫し越中まで抑え込まれた木曽義仲勢が越前に入り白山平泉寺へ戦勝祈願をするのは普通に考えておかしいと思います。覚明が激しく平泉寺と交渉を行っているのは想像できます。


ただ、木曽義仲はこのころ藤島七郷を白山平泉寺に寄進しており藤島七郷を与えることで平泉寺を懐柔したと考えます。なぜなら早く京へ上りたい!木曽義仲はそう考えていたはずです。斉明を殺されて怒り狂う白山平泉寺の僧も多くいたと考えれば木曽義仲にとってなかなか面倒な相手となります。そこで出てくるのが藤島七郷の寄進です。この藤島郷はもともと平家が治めており越前国から平家を追い出した木曽義仲にとっては平家討伐の流れで得た地でありこれといった必要性はなかったと考えます。しかし、白山平泉寺からみれば九頭竜川左岸にあたる一帯を手に入れることはかなりの好条件となる。そこでこの藤島郷を寄進することで白山平泉寺の面目も立ち、木曽義仲も戦勝祈願としての寄進という両者にとってよい形で話しが治まったと考えます。


弟野太郎光弘という人物はそのほかの資料には出てこないのですが木曽義仲の家臣団の中には千野太郎光弘という方がいて義仲と共に育った樋口兼光の家臣と言われています。社伝の内容が誤字の可能性があります。

 

藤島七郷とはどの辺りなのか?現在でも藤島という地名は福井市には多く残っています。江戸期には藤島郷42村といわれ42の村がありました。歴史書を調べてもこの七郷の記載はなく実際は七郷ではないともいわれています。


ただ白山神社の分布をみるととてもわかりやすく、416号線(通称・藤島通り)にある地域の


福井市林町、藤島町、大願寺、大宮1丁目(旧・久末)、大宮2丁目(旧・経田)、大宮3丁目(旧・重藤)、大宮5丁目(旧・八ツ島)、堀の宮とわかる範囲だけでもほぼすべての神社が白山神社と称している。まさに藤島通りは白山神社通りでもあります

写真は経田白山神社、福万白山神社、重藤白山神社など


さらに藤島郷の説明には遠く深谷にまで至るとあり藤島通りの先の九頭竜川を越えた福井市深谷町もしっかりと白山神社を祀っている。


さらに藤島通りの周辺を見てみると福井市大和田の大和田神社、高木の高木神社もその昔は白山神社と称していて現在もイザナミを祀っています。


大和田神社はもとは白山神社と呼ばれていて白山平泉寺と関係の深いとされる大和田屋敷があったとされそれが地名の由来になっています。


もっと範囲を広げると

福井市灯明寺、里別所町、上伏町、土橋町、黒丸町は白山神社を祀っていてホント探し出したらきりがないです。



 

木曽義仲は白山平泉寺に最大限配慮しながら急いで京都へ向かったことがとてもわかる社伝です。また、藤島七郷と考えられる地域にみるたくさんの白山神社が祀られていることは当時の白山平泉寺の越前における支配地域の証と考えられます。

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