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地名学・言語学的考察(第10話)

更新日:2023年4月9日


越前縄文人は、交易や集団社会生活を営むに不可欠な言語でコミニュケーションし、原始的な文字も存在していた。 その様なことは、根拠とする史料・史実や有形の遺跡・遺物が無くとも、海外の古代文明等でも明らかな通り、人類学・比較文明学・言語学的に充分類推できる。


1. 地名はある特定の土地につけられた固有の名である。

すなわち地名は,(1)ある特定の地域が,(2)他の人に必要な固有の内容をもって伝える為に命名されたとの定説がある<世界百科事典>。

縄文語は文法も語彙も現在の日本語とほとんど同じとする説も多い。言語学者小泉保氏が著書「縄文語の発見1998」で「日本語の祖語が縄文語であり、今も継承されている。」と発表した専門的学説がある。「各国の言語には、同じ語族の源流(祖語という)が存在する。但し、日本語が属する祖語は、世界で発見されていない。従い、日本語の源流は弥生時代をはるかに超えて、縄文中期よりも前に遡るということになる。」とする主張もあり頷ける。

又、古代語源研究家の今井欣一氏の著作「地名が語る縄文文明」で明らかにした「縄文海進時に海に面していた可能性が高い地域に「鼻、崎、岬、島」が付いた地名が分布する特徴がある。」との研究成果がある。

2. 鯖江・鯖波・王子保地区には、上記今井氏の研究成果に符合する、明らかに「海に面していた縄文起源の地名」と比定出来る「江守、江端、鉾ヶ崎、大洗磯崎、吉江、江尻、鳥羽、鯖江、深江、船津、杉崎、白崎、松ガ鼻、大塩、嶋、関ヶ鼻、鯖波」や、これ等に加え、鳥居でマークアップした縄文(海神)神道の集団祭祀場に繋がる「金刀比羅神社」等が今も現存していることを発見した。

前1項で示した諸学説と、越前縄文人が、上記の通り海に因む多くの地名と海神系神社を海湾周りに残した実例は、「鯖入江」や「鯖波峡湾」が存在した明らかな証左と言える。


3. 魚のサバの語源には諸説あり、小さい歯が多いことから「小(さ)歯(ば)」の意であるという特徴由来説や、サバは大群で泳ぐ魚であるため、「多い」を意味する「サハ」に濁音がついて、サバになったという生態由来説もある。また、縄文人血統を色濃く残すアイヌ人がサバを「シャンバ」と呼び、これが変化してサバになったという縄文語由来説等もある。


4. 現生人類の大きな特徴は、道具や言語を使用し集団生活をすることと言われている。 

越前縄文人も恐らく10万年以前から史料に残る近代語に近い言語を話し、集団生活の中で、特定の土地や地域をその特徴を示す形で語り伝え共有していたと比定できる。

従い、縄文海進の時代には、森羅万象の個々を示し今に繋がる言葉、例えば、食魚の名前:

「サバ」や、自然地形の特徴:入江を示す「エ」や波を示す「ナミ」等の呼称も、山、川、草、木等と同様に存在したはずである。 更には、固有の地名を表す「サバ・ナミ」や「サバ・エ」は、多少の発音・音韻変化があったにしても、縄文時代から存在し語り伝えられ、もしかして、漢字の伝来で焚書化した幻の古代縄文文字が当てられ伝承されて来た可能性も否定できるものではない。


5. 漢字で表示するサバは、中国では「鲭鱼/鲐鱼」であるらしい。 日本では「青花魚」、「鯖」、「鮄」に加え「魚+青=鲭」等と書き、サバの青々しさを表すために「鯖」が使われている。 

中国では「鯖」の意味は、魚や鳥獣の肉などを混ぜて煮た料理の名前「寄せ鍋」を意味していると言われ、サバを意味する「鯖」の漢字は、誤った当て字であるかも知れない。 

因みに、平城京史跡で発見された木簡荷札に記載されたサバは「魚+青=鲭」であり、古代には、正しい表意文字の漢字があてられている。


漢字伝来と共に、地名などの縄文語も万葉仮名表示を交えながら、文字文章として表示、継承された。 我が故郷の「サバエ」や「サバナミ」の地名にも、「鯖矢」「錆江」「荒江」や「沢江」が転じて「鯖江」となったとか、また、古くは「済羅(サワナミ=網の多い地区)」「鯖並」が転じて「鯖波」の漢字があてられたとか、とても難解な諸説が残る。 

如何なる経緯や変遷が実際にあったのかは不明だが、幸いにも、「鯖江」「鯖波」の地名は、古代には「鯖の獲れる海」であったとの特徴が誰にでも容易にストレートに伝わり且つ古気候・古地理学的にも検証できる正しい漢字表示の地名として今日に残った。

6. 試しに、ネット検索で調べた結果では、サバの豊漁地であったことを暗示させる地名が約8ケ所も存在する。これら地名に万葉仮名使い的漢字があてられた結果、時代の経過と共に、本来の意味と異なる意味に変化して残った為か、由緒が曖昧であることが判った。


「サバ神社」という名の神社が、神奈川県央部を流れる境川流域高台に計12社も存在することも知った。その表記は「鯖」「左馬」「佐婆」等々、すべて「サバ」と読むのは共通。 江戸時代中期から明治時代初頭にかけて、これらのサバ神社を巡り厄除け厄払いをする「七サバ参り」という風習があったと伝わる。 その社名は、鯖の豊漁地であった特徴由来であったとサバ読み出来るが、この地域には、清和源氏が始祖で当地を支配した源満仲を主神格と祀り、満仲が授かった律令制役職が「左馬助(サマノスケ)」であったことから「サバ神社」と呼ばれたとの伝承が残る。


これ等地域を、縄文海進シュミレーションで検証すると、明らかに、古代には海湾入江の要衝であった様に表示され、大衆魚である鯖の豊漁地であったことが窺える。 縄文海進が終わり、海湾入江も消滅、地形も変化し、古気候学・古地理学的思考が確立されていない時代の人々は、例えば、「サバ」の呼称は、「鯖」の魚名であることは知りつつも、由来不明な「佐波」「佐婆」や「左馬」等々の地名や寺社名として、都度、漢字の宛名に変えられながら、本来の趣旨とは異なる由緒・由来で伝搬・伝承されたケースであると思われる。


7. 蛇足ながら、「サバ読み」の語源は東日本では、昔「魚を扱う商人」を「五十集(いさば)」と呼んだと。鯖は大量に捕れるが鮮度の低下も早い。五十集は、数量を目分量でざっと見積もって、早口で目にもとまらぬ速さで数を読み伝え取引をした為、これを「五十集(イサバ)読み」と呼び、略して「サバ読み」と呼ばれるようになったとか、もっと単純に、大量のサバは、数を数えず目分量で取引した事を指す等の説もある。 


従い、「サバ読み」とは、

① 数量を目分量でさっと計測しアバウトな数値で取引が成立すると言う意味合いとの説、又は、

② 数えている途中で数をごまかすこともあることから「数をごまかす」意味に使われるようになったとの説等がある。


筆者が本ブログで使用している「サバ読み」なる言葉は、素人談義の中での仮説・考察であるところから、自嘲と洒落っ気を込め上記①の意味合いで多用しておりますこと、そして、決して②の目的では無い事を申し添えます。                                以上


                    <第11話に続く>          泉州 閑爺 

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