縄文海進と同時に、世界最古と言われるシュメール文明や中国長江文明が勃興した。 同時に、福井県若狭の鳥浜縄文集落も最盛期を迎えていた。縄文中期後葉期には、鯖波峡湾や鯖江の入江湾岸に存在した上平吹縄文集落等、越前縄文人の集落群も、三内丸山縄文集落と同様に繁栄期を迎えたに違いない。
1. 穏やかな海湾・水辺は「文明のゆりかご」、高度文明発祥と人類繁栄の源である(定説)。
縄文時代は今から約15,000年前から約3,000年前と、その期間約12,000年と現在の西暦2,000年の期間の約6倍と、古代ロマンと謎で満ち溢れた期間であり、世界観を持ちマクロ的に探究することが肝要と思われる。
2. 世界最古の文明と言われるシュメール文明が発祥したイラクのメソポタミア地区のチグリス川・ユーフラテス川の沿岸も、縄文海進時代には海水が流入し湾岸入江となっていたと思われる。
シュメール人は、多神教で、BC5000~3000年の約2000年の期間中に、人類初めての都市国家を築き、シュメール文字(楔形文字)と太陰暦を作り上げ、そして現在の時刻の基準となる60進法を用いていたと言われる。
現在でも、かつて西ユーラシア最大と呼ばれたイラク湿原地帯で覆われていて周辺にはウルク、ウル、ラガシュといった古代都市国家が存在したと<sekainomosque.com>。
縄文時代中期BC3000年から晩期BC1000年の約2000年間のほぼ同時代に繫栄した地中海文明(エーゲ期)も、「文明のゆりかご」である穏やかな湾湾・水辺から発祥し、海洋民族として集団漁労に始まり、船を活用した交流・交易で繁栄し、地中海文明交流圏を形成した。
独自の言語と古代文字を持つこれ等高度な古代文明は、考古学的に発見されやすく、検証可能な石造遺跡や石刻文字・壁画として現代の各地に残された。
但し、これ等古代遺跡や遺物は、考古学マニアや学者達の大胆な「サバ読みロマンや仮説」 に基づき、年月と資金を掛け、発掘・検証作業を続けた結果、発見・保存・可視化され、今日では、世界的文化遺産・観光資源(観光コンテンツ)となったものが大半である。
3. BC3000年頃からBC1200年代の地中海・エーゲ文明に属し、海洋交易都市として栄えた古代都市遺跡は、その殆どが海辺から約10~30kmも遠く離れた高台に位置している。
しかし、その高台から俯瞰した眼下には広大な平野が広がり、その遠くには海洋を望むことが出来る。フランス・ローヌ川河口のアルルは、古代ギリシャの植民地となり、地中海に面海洋交易都市として栄えた。 その地中海への現在の距離は、ローヌ川河口氾濫原であった広大なカマルグ湿原を経て約30kmもある。
即ち、縄文後半期に属した古代地中海文明の諸都市も、発祥当時は、穏やかな海辺の小さな海洋集落(村)から歴史に残る海洋都市に発展したと比定できる。河川沖積層の成長と、縄文海退の進行により、現在では奥まった陸地に古代石造遺跡として残ったという証左である。
古代ギリシャ遺跡の上に古代ローマ遺跡が残った様に、縄文時代には海辺であった鯖江の王山や西山の古墳群の地下辺りに、もしかして、縄文城塞遺跡が潜んでいるかもと鯖読みロマンで発想が膨らむ。
4. 若狭の鳥浜貝塚遺跡では、縄文草創期(BC8000年前頃以前)の網漁用の打欠石錘に、縄文時代前期(BC4000年頃)の丸木舟、赤漆塗の櫛等漆製品、編物、縄等が出土している。また、鳥浜縄文遺跡の集落の最盛期はBC4000年~BC3500年頃と比定されている。
古代地中海世界では、BC3500年頃には、木造帆船が建造・運航されて、BC2000~BC1000年時代には、古代文字も使用され始め、地中海交易、集団移住(植民)、侵略にバイキング的略奪や国家間の戦闘用に、木板製のガレー船(木板・金具使用の構造船)が使用されていたことが定説。 更に、エジプトではBC2500代の木造構造船クフ王の舟が発掘されると共にBC1700年以前にエーゲ海域を運航する構造船船団の存在を示す壁画もサントリーニ島のアクロティリ遺跡で、近年発見・出土されている。
5.一方、古代ギリシャの土器・土偶と見比べても、縄文人の作った縄文土器・土偶の技巧・美的レベルは優るとも劣らず、又、磨製石器や漆を加工する高度な技術も有し、集団で農耕、漁労や製塩等を行う等、組織的でそれなりに高度な社会生活を営んでいたと言われる。
考古学的に検証可能な縄文時代の文字・史資料等の遺物が発見されていない越前・鯖江地区ではある。
しかし、越前縄文人も固有の言語を話し、縄文早期時代には、既に原始衣服に縄紐糸や漁網作りの為に、自生繁茂するつる性植物から剝ぎ取った繊維素材を紡いだり編んだりする技術も身に着けていた。また漁労に於いては、月齢(大陰暦)と潮の干満流れを予知し、更に、BC4000年代前後の単材刳丸木舟からBC3000年前後の縄文中期に至っては、更に進化した準構造舟を操る集団漁労や交易活動も活発化させた筈。 従い、気候風土に適合した生活レベルと文化面でも、地中海文明人とほぼ同じレベルに達していたと類推サバ読み出来るのである。 以上
<第12話に続く> 泉州 閑爺
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