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縄文越前人は海洋民族(第12話)

更新日:2023年4月13日


縄文文明を地球規模で俯瞰すると、世界の古代文明も地球規模で発生した縄文海進と同時に発祥し最盛期を迎えたことは既に世界の定説である。


1. 古代地中海世界と、ほぼ同緯度で似通った海域地形を有している古代東シナ海文明交流圏の約2万年前は、大陸と日本列島は陸続きで、日本海は内海であったと言われる。 約18,000年前頃から縄文海進が始まり、約8000年前に、対馬海峡に黒潮が流れ込み東シナ海と日本海は繋がり、古代文明交流の海上幹線流路となる対馬海流とリマン海流が発生したとの学説がある。


縄文人と大陸人は、地中海文明交流圏と同様に、当時の文明の利器「船」を活用し、これ等海流と季節風に乗る形で、縄文海進時代には交流・交易が始まり、日本海を含めた東シナ海文明交流圏が形成されていたとの説もある。

対馬海流の現在の流速は約2km/時(但し、朝鮮側西水道では6/km/時)といわれる。気候の温暖化と海進が急速に進み、対馬海峡に黒潮が流れ込み始めた縄文早期から中期にかけての海流の流れも、鳴門の渦潮の如き(最大で20km/時)に、もっと早い高速海流であったと推定され、ほぼ季節風と海流任せの大陸と日本列島間の舟での往き来も、比較的に短期間であったに違いない。

上記の画像の白線矢印は、1997年1月のロシアのタンカー「ナホトカ」号が 隠岐の島沖で破断事故が発生し重油や破損した船首部が、越前海岸の三国付近に流れ着いた漂流経路を示している。  

縄文海進時代の古代に於いても、対馬海流が、越前三国の広い湾口(幅約10km以上)の古九頭竜湾に向け渡来船を押し流した筈だ。 

古九頭竜湾は、その湾奥に穏やかな鯖入江と鯖波峡湾を形成し、古代渡来船の安住な停泊場所となり、東シナ海文明交流圏の日本列島本州の正に表玄関口となっていたと古代の地形からも類推サバ読み出来る。


2. 古代地中海世界に遅れること約500年、中国の春秋戦国時代 (紀元前約700年頃~)には、河川・湖沼・沿海交易や、特に、戦国列強間の水上・海上での戦には、櫂・帆併用の古代ジャンク級構造軍船が建造・運航されていた筈だ。 「戦いは科学技術を飛躍的に発展させる」のは、人類学的な定説ではないか。 

遙か春秋戦国時代の戦乱から逃れた大陸からの王侯貴族系の避難民的渡来人群が、古代ジャンク船を操り、対馬海流に流され、穏やかな古九頭竜湾と鯖入江や鯖波峡湾に姿を表し、新天地を求め彷徨っていたのではと、鯖読みロマンに想像が膨らむ。 秦時代の紀元前3世紀頃、徐福が童男童女3000人に工人、道具を船に乗せて日本に渡った話は、渡海にジャンク級大型の構造船を使ったことを暗示させる。

鳥浜貝塚遺跡で発見された縄文時代前期(BC4000年頃)の丸木舟も、その後2000年以上も経過した縄文晩期(BC1000年頃)の海人:縄文越前人は、外洋航海にも耐えうる準構造船に進化させていた筈と類推できるのである。


3. これ等高度な知識を身につけた王侯貴族系渡来人が、縄文後期から弥生早期にかけ、古九頭竜湾にも流れついたと思われる。 縄文越前人は、渡来人を友好的に受け入れ当時の先進的な技術知識(漢字、統治・軍事、治水・灌漑、鉄器、紙すき、造船等々)を早い時期(縄文中期・後期)から旺盛に学び取ると共に東シナ海交流圏の中で自らも海外との交流と交易を深めたに違いない。


縄文晩期から弥生前期に於いて、海外との交流・交易も活発で海民集団を束ねる支配層が存在したことは、越前の奥地に漢韓渡来系ゆかりの地名史跡や伝承が多く存在すること、「丹生」、「平吹」、「鋳物師」及び越前和紙の五箇等、当時のハイッテック産品ゆかりの地名や産地、及び、支配層の存在を示す「王山」と呼ぶ地名等々が存在して居るところからも充分類推可能である。


強調したいことは、人類の文明の進化進展は、世の東西に関わらず、100年、200年単位の多少の時代差はあったとしても、人類特有の交流・交易の過程を経て、ほぼ、同時に伝搬・進化・進展したであろうと言うこと。  即ち、約4000年間にも渡り、穏やかな海辺の海民であった縄文越前人も、古代中国・地中海世界の文明レベルに近い領域に達していたと推定できる。 


4. 海退期に相当する紀元前後時代には、山間部の鯖波峡湾は、古日野川水系高地部の南部から低地部の北部に向け、自然水利に恵まれた沖積谷底平野に徐々に変化し、稲作を主体とする農耕地帯に変貌して行ったと思われる。

但し、低地部の鯖入江や古九頭竜湾は依然として、水路交通と防衛・統治に適した湖沼地帯や海湾地帯としてその地形をとどめていた。 弥生時代に入っても穏やかな海湾水辺に接した越前地区は、日本海沿岸と東シナ海文明交流圏に海水路で繋がる地形的恩恵を受けた。 その結果、越前地区は、時代相応の外洋航海・造船技術と外交・交流力を有した大和の国屈指の海洋国家となり、鯖江台地の王山を拠点にした王権族(仮称)サバエ王国も誕生していたものと思われる。


5. 明治時代の郷土史に、崇神天皇の御代である大彦命が北陸道平定の為、鯖江に行軍した(BC88年? or 4世紀頃)、鯖江の深江の辺りでは軍船が運行され、水先案内を要するほどに広大・複雑な湖沼であったことを想像させる伝承も残されている。 この時代に運行された軍船は、既に、渡来文化・技術の影響を受け、ジャンク級構造船に近い軍船であったと推測できる。 

「サバエ王国」は、その様な軍船を建造・運行し、又、大陸から逸早く導入した漢字文字と和紙で情報交換と共有を成し、馬や鉄器で武装した富国強兵な豪族国家であったに違いない。


サバエ王権族は、海洋民族ならではの戦略的本能で、ヤマト王権の大彦命に臣従し、北陸平定行軍に加わり、軍船を操り外交力を発揮し活躍した筈だ。その結果、広大な古代海洋王国:越国(高志国)の支配者に伸し上がった筈とサバ読みロマンを物語ることが出来るのである。                                   以上

                        <第13話に続く>  泉州 閑爺

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