この写真は太子堂と呼ばれ聖徳太子を祀る仏堂です。1枚目からあわら市矢地、あわら市桑原、三国町下野の神社境内にあるものです。
聖徳太子は神仏を篤く敬った為、宗派神仏を問わずたくさんの人々に愛されました。その為、いろいろなお寺や神社に建立され、江戸末期から明治にかけて地域の職人は腕を磨き太子堂を造ったといわれます。このことからいつの間にか大工や職人の神として祀られその信仰のもとに集まった祭事を太子講と呼び、地域の職人同士の結束を高めたり、情報交換の場であったと考えられます。
つまり、太子堂のある地域は腕利きの職人さんが多かった地域と考えられます。
その中で有名な地域としてあわら市伊井、矢地、滝(旧・金津地区)が挙げられます。特に伊井地区に関しては伊井村誌に『伊井大工も亦古来郷土地域に於ける社寺などの御堂建設について優秀なる技術と、旺盛なる責任感と献身的奉仕の精神を以って、志比大工に劣るものではない』(伊井白山神社誌より)とあり、志比大工(現在の永平寺の宮大工)に負けない伊井大工のすばらしさを伝えています。
また、この伊井大工のもとで修業をした職人たちが坂井町島や新庄、あわら市下番などに広がったと考えられます。
現在も残る彫刻をたくさん使った神社や寺を得意としていたらしくあわら市中番の春日神社などおおよそ想像がつきます。現在は伊井大工の方は残っていないと聞いていますが偉大な先人の残した建造物を探してみたいと思います!
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