壇ノ浦の戦いで散った!安徳天皇を祀る 八雲神社
あわら市北潟にある八雲神社。この神社の御祭神の中に安徳天皇が祀られています。安徳天皇といえば源平の最後の戦い『壇ノ浦の戦い』で滅んだ平家が最後の頼みの綱とした天皇です。平清盛が朝廷との関係を強くするため高倉天皇に自分の娘・徳子を嫁がせて生まれた子供が安徳天皇です。
この安徳天皇がなぜこのあわら市北潟地区で祀られているか??この辺りは平家とのつながりが強い!そんな話がいくつか残ります。
まずは北潟地区にある安楽寺。ここは歴史が古く平清盛が戦の神と崇めた牛頭天王が祀られています。後に平清盛は越前国の押領使・藤原左衛門実澄に命じて牛頭天王を祀る神社を建立させました。それがこの八雲神社といわれています。安楽寺の山号が天王山であるのは牛頭天王からきている可能性もあります。神仏習合から牛頭天王はスサノオと同一視されていますので八雲神社にはスサノオが合祀されています。また社伝には平清盛・重盛に八雲神社の社領200石を寄付していたが平家滅亡後は廃止されたとあります。
また、木曽義仲が富山県の倶利伽羅峠の戦いから勢いを増し越前国に迫った時、加賀市であった源平の激突!現在の篠原古戦場で負けた平家側があわら市波松地区に集結し体制を立て直し戦ったと伝わります。
加賀での戦いに負けた平家軍がこのあわら市波松地区で集結!
なぜこのあわら市北潟地区、波松地区を頼ったのかそれとも戦いの中で自然とこの地に追いやられたのかは分かりませんが木曽義仲が越前に来たのが1183年といわれています。当時の天皇は安徳天皇であることからこの時にこの八雲神社(当時は天王社)に安徳天皇を祀り木曽義仲との戦いに向かっていったのではないかと推測します。
そう考えると八雲神社には死に行く平家の思いが詰まった神社で自分たちの正当性を後世に残すための覚悟のようなものがあるのかな~と感じながらの参拝!
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