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木曽義仲が白山平泉寺に贈った藤島七郷の意味
加賀・篠原の戦いで勝利した木曽義仲は京を目指し越前国に進軍しました。 寿永2年(1183年)6月1日に起きた篠原の戦い。その後、6月末には比叡山延暦寺との交渉を行っているのでこの越前国をスムーズに1か月もかからず通り抜けたことになっています。...
o_kataka
2021年9月1日
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木曽義仲を迎え撃つ!平家の思いが残る八雲神社 あわら市北潟
壇ノ浦の戦いで散った!安徳天皇を祀る 八雲神社 あわら市北潟にある八雲神社。この神社の御祭神の中に安徳天皇が祀られています。安徳天皇といえば源平の最後の戦い『壇ノ浦の戦い』で滅んだ平家が最後の頼みの綱とした天皇です。平清盛が朝廷との関係を強くするため高倉天皇に自分の娘・徳子...
o_kataka
2021年8月24日
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加賀一向一揆と対峙した金津溝江氏とは? あわら市大溝
戦国時代の越前の北部、加賀との国境は常に争いが絶えず越前を治める朝倉家と加賀一向一揆の戦いはとても多くこの現在のあわら市の辺りは越前朝倉家にとって大切な拠点のひとつだったと考えられます。そんな地域を守っていたのが溝江氏です。...
o_kataka
2021年7月14日
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あわら温泉の繁栄を見守る!あわら温泉薬師三尊
温泉は古くは医療のひとつとされ戦国武将や幕末の坂本龍馬など温泉で傷を癒す話は数多くあります。 そしてこの福井県で最も有名な温泉地・あわら温泉。その歴史は明治16年頃といわれそれほど古い歴史を持っているわけではありませんが三国港も近く越前ガニをいただける立派な温泉宿が立ち並び...
o_kataka
2021年6月16日
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越前松平家の誕生!結城秀康はなぜ越前へ来たのか?
関ヶ原の戦いのあと越前68万石を拝領された結城秀康。徳川家康はなぜ結城秀康にこの越前国を与えたのか?関ケ原の戦い後の徳川家康の疑念。もっとも恐れたシナリオが前田家と豊臣家、そして朝廷が手を結ぶこと。それぞれ徳川家康が信頼する武将を置き監視徹底することを考えました。
o_kataka
2021年6月7日
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太子堂からみる伊井大工や職人たち あわら市矢地
この写真は太子堂と呼ばれ聖徳太子を祀る仏堂です。1枚目からあわら市矢地、あわら市桑原、三国町下野の神社境内にあるものです。 聖徳太子は神仏を篤く敬った為、宗派神仏を問わずたくさんの人々に愛されました。その為、いろいろなお寺や神社に建立され、江戸末期から明治にかけて地域の職人...
o_kataka
2021年5月5日
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福井県で伊勢鳥居を見る!坂井市春江町田端 神明神社
坂井市春江町田端地区にある神明神社です。 この鳥居をよく見ると一番上の屋根のような部分『笠木』が小さな家のような五角形になっているのがわかると思います。このような鳥居を伊勢鳥居と呼び福井県内の神社をいろいろ巡っていますが敦賀市の金ヶ崎などで確認できますが嶺北ではほとんど確認...
o_kataka
2021年5月2日
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薬師堂に伝わる医学の歴史と薬師如来 福井市高尾町
薬師如来は左手に薬壺(やっこ)と呼ばれる壺を持っているのが特徴で、霊薬と呼ばれすべての病を治すことができるといわれ疫病を治癒し人々の健康を司る仏様といわれます。 福井県内にも薬師如来を祀る神社仏閣は多くそのほとんどが病気や医学に関係するものです。...
o_kataka
2021年4月17日
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