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【越前国での牛頭天王】栄枯盛衰が物語る八坂神社と御祭神・スサノオ


【越前国での牛頭天王】栄枯盛衰が物語る八坂神社と御祭神・スサノオ

 明治期に神仏分離令が出され神と仏は分けられました。1000年にも渡る神仏習合の考え方が続いた中で突然、神と仏を分けようと思っても難しい問題は多く寺院や仏教関係者からは強い反発がありましたが、強い中央集権のシステムをもつ明治政府はこれを強硬に進め数々の寺院が衰退しました。そんな中、神仏習合時代に日本で独自に生まれた習合神・牛頭天王明治政府によって廃止されました。日本書紀や古事記にも登場せずインドから入った牛頭天王は1000年以上かけ日本独自の神様となっていました。そんな牛頭天王の面影はここ越前国にも多く残っています。


1,越前国の牛頭天王の中でも最も栄えた越前町天王の八坂神社

牛頭天王が祀られていた八坂神社(祇園天王宮)

 越前町に鎮座する八坂神社。越前町天王に鎮座し神社を背にして参道をそのまま進むと天王川が流れるまさに牛頭天王の名前を多く残した地域です。近世は祇園天王宮と呼ばれていました。


 その歴史は謎が多いですが社伝には神功皇后が三韓出兵の帰途、天下安泰を祈願し当地に神祠を創建し牛頭天王を祀ったのが始まりとあります。


 この社伝にはちょっと疑問点があります。まずは応神天皇の母・神功皇后が登場するのは西暦200年ころと言われていて仏教が日本に本格的に伝わったのが西暦550年頃と言われています。神功皇后が牛頭天王を祀ったとすれば仏教伝来より以前に牛頭天王を祀ったことになり、本格的な仏教伝来以前に牛頭天王が祀られているのは少し疑問が残ります。しかし、この社伝の信ぴょう性もゼロではありません。三韓出兵で朝鮮半島へ向かったときに牛頭天王を知って日本へ持ち込んだとも考えられます。また、敦賀へ来た渡来人によって伝えられたなど可能性はいくつか考えられます。

 神宮寺は真言宗応神寺が努めました。この応神寺は室町時代には14坊が成立し田中郷十三ヶ村(天王、宝泉寺、栃川、乙坂、馬場、市、田中、在田、甑谷、坪谷、真栗、御油、清水山)の総社として栄えました。



2,祇園天王宮を支えた時の権力者


 そんな長い歴史の中、天皇家や有力者によって造営・修理が繰り返されました。応神天皇の造営に始まり、天応元年(781年)光仁天皇の造営、弘仁13年(822年)嵯峨天皇の修理、寛和2年(986年)花山天皇の造営など八坂神社に残る『応神天王宝前造営記』に記載されています。


越前国の国主・平重盛
越前国を治めた平清盛の嫡男・平重盛

 注目する点は、大治5年(1130年)美福門院が修理したとあります。この美福門院とは第74代天皇・鳥羽天皇の皇后で第76代天皇・近衛天皇の生母にあたる藤原得子のこと。実はこの時代、越前国はこの美福門院(名称を美福門院で統一します)の分国となっていて美福門院が治めていました。美福門院は保元の乱の中心人物で平清盛と手を組み勝利をつかんだ人物です。


 その後、平治の乱を通して平家の時代が到来すると越前国は平重盛が治めるようになります。この平重盛は清盛の嫡男で平家で大きな影響力を持ちました。この平重盛によって八坂神社は嘉応元年(1169年)に修理が行われています。

平重盛を祀る越前町・小松健勲神社
剣神社の境内社・小松健勲神社


 木曽義仲(源義仲)が北陸へ侵攻し京へ上る際、この越前国は平家やその関係者によって治められていたことが分かります絶大な勢力を持つ平家一門、それを象徴する神社があります。越前町織田の剣神社の境内社・小松建勲神社です。御祭神は平重盛と織田信長。平重盛は京都の六波羅小松第に住んでいたことから小松殿と呼ばれていました。この神社はその名称を継いだ神社と言えます。越前町には多くの平重盛の話が残るのも特徴のひとつです。


 福井県には木曽義仲の話は多く残っていますが、平重盛時代の話は少なくあまりありません。そんな中、平重盛の貴重な情報が残るここ八坂神社や剣神社、平家隆盛を感じることができる数少ない越前国の神社です



3,八坂神社の衰退とスサノオを祀る越前国の神社


八坂神社の境内社の経年劣化は激しい

 そんな越前町天王に鎮座する八坂神社ですが、経年劣化が激しいなと感じています。特に境内社は福井県神社庁のホームページで確認すると9社が存在しますが、実際に見てみると境内社は存在するが状態は良くなく入り口にあった辻神社、拝殿の横に並ぶ八幡神社、神明神社以外は看板もなく詳細は分からない状態です。


 建物がなく礎石だけが残るものもあります。また、雪で軒先がやられている状態のものも多く今後の対応次第では境内社の建物が全部なくなる可能性もあります。もともとが大きな神社だった為、規模が小さくなっていってもそれなりの大きさの神社なので管理が難しそうです。


 八坂神社に限らず、神社の建物の劣化は全国的にとても厳しく、住宅地など一定の住人(氏子)がいると修繕などが可能ですが、過疎化や八坂神社のようにもともと大きな神社だったが現在、観光地化されていないなどの理由で人が集まらない神社は衰退を確認するにとどまります。個人的にはこのような状態を打破したいといつも考えていますが、なかなか一人では難しいです。クラウドファンディングなど開催されるといいのかな~。



 最後にスサノオを祀る神社をいくつかご紹介します。スサノオは明治時代の神仏分離令の時に牛頭天王に代わる御祭神として祀られました。つまり、スサノオを祀る神社はもともと牛頭天王を祀っていた可能性が高いです。



写真の福井市西木田にある木田神社は明治以前は木田天王宮と呼ばれ牛頭天王を祀っていました。そして平重盛とも深い関係のある越前町織田の剣神社もスサノオを祀っています。福井市網戸瀬町の八坂神社にはきゅうりが刺さって目が失明した牛頭天王の話が伝わります。


これ以外にも坂井市春江町為国西宮の八坂神社、越前市天王の八坂神社、福井市松本の簸川神社など各地に牛頭天王は未だ語り継がれています。


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