top of page

平家落ち武者の話が残る廃村・福井市清水平町!桂観音清水が今も流れる!

 

 福井県には数多くの平家の落ち武者伝説が残ります。

 古くから平氏の影響力が強い越前国。これは平清盛の父・平忠盛が保安元年(1120年)に越前守に任じられ務めていたことに関係します。そこから木曽義仲が北陸の平氏勢力を倒す寿永2年(1183年)までの60年以上、越前国は平氏の勢力下におかれていました。実際にはそれ以前から平氏の勢力は越前に影響があったと考えます。(それ以前から若狭国は平氏が治めていたため)



 そのような状況の中、加賀市の篠原の戦いで散った平氏の残兵は越前の各地に逃げ隠れました。※写真は篠原の戦いで討ち死にした斎藤実盛の実盛塚にある松の木


 平氏が落ち延びた地域と言われている福井市清水平町。この清水平町は国見岳に位置する山間部。近くにには中平町、東平町、奥平町と清水平町を含めると4つの平の文字を有する地名があり源氏に負けた平家の落ち武者が住んだと伝わる地域です。郷勇太鼓と呼ばれる太鼓が伝わり、麓の村人が山に登ってくると天狗や鬼の面をつけて太鼓をたたき村人を驚かせ人々を近づけさせなかったと言われます。


 



 現在、清水平町は廃村となっており人は住んでいません。(平成の記録では1軒)そんな清水平町に鎮座する氷川神社の横には廃村になることを見越した村民の碑が建てられています。


 「 寛永元年頃に国見山のふもとに平家の落武者が住みつき清水平町が有る。木炭、養蚕等を主な資金源として生計を立てる静かな里であった。而し時代は変わり木炭は石油に変わり、養蚕はほかの製品に変わる。次の世代の為に昭和三十八年頃一軒二件と福井市内、春江方面に移住を決意する。時代の流れとは言へ、我が代に廃村とならぬ様、真に責念のきはみで、ここに記念碑をを建て後世にのこす。 」


 とても清水平町への想いを感じる村民の碑です!


 さらに近くには桂観音清水という池があり大きな観音様が祀られています。

 この桂観音清水は寛永元年(1623年)、福井ー鮎川間の街道があり福井藩主が鮎川へ向かう際にこの地にてご休息をされ、桂の根本より湧き出る水を召し上がった際に「美味、誠に名水である」と仰せられたとある。そして桂清水と命名し福井笏谷より石を運び池を作り憩いの場として通行人に親しまれてきた。雨後山谷険しき道中通行人の安全を念じて観音様が安置されたが昭和22年の大地震で壊失したが清水は止まることなく湧き出た。平成に入り再建され桂観音清水と称する。(※当地の石碑を参考に記載)


 寛永元年(実際は1624年)は2代藩主松平忠直が配流、弟の松平忠昌が3代藩主になった年です。就任し越前国を廻ったと考えれば自然な流れです。3代藩主・松平忠昌の時代の越前国は自然災害が多くその対応に苦慮した記録が多い。新田開発や街道整備など国内をしっかりと治めていたことが分かる。


 廃村・清水平町。福井駅から車で30分の山の中。清水平町に鎮座する氷川神社の境内はきれいに整備されていました。近隣の方か清水平町の元・住民の方が整備されているのかなと思います。今後、まだまだ増えていく廃村。そんな地域の歴史や想いも微力ながら伝えていけたらなと、思っています。

Comentários


bottom of page